4月7日  「十字架の力」 コリントの信徒への手紙T 118-31節  

18 十字架の言葉は,滅んでいく者にとっては愚かなものですが,わたしたち救われる者には神の力です。

19 それは,こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし,賢い者の賢さを意味のないものにする。」

20 知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。

21 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は,宣教と言う愚かな手段によって信じる者を救おうと,お考えになったのです。

22 ユダヤ人はしるしを求め,ギリシャ人は知恵を探しますが,

23 わたしたちは,十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち,ユダヤ人にはつまづかせるもの,異邦人には愚かなものですが,

24 ユダヤ人であろうがギリシャ人であろうが,召された者には,神の力,神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。

25 神の愚かさは人よりも賢く,神の弱さは人よりも強いからです。

26 兄弟たち,あなたがたが召されたときのことを,思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく,能力のある者や,家柄のよい者が多かったわけでもありません。

27 ところが,神は知恵ある者に恥をかかせるため,世の無力な者を選ばれました。

28 また,神は地位のあるものを無力な者とするため,世の無に等しい者,身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。

29 それは,だれ一人,神の前で誇ることがないようにするためです。

30 神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ,このキリストは,わたしたちにとって神の知恵となり,義と聖と贖いとなられたのです。

31 「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。

  

 2002年度最初の主日礼拝にあたり、教会の中心とは何であるか?信仰生活の基本的姿勢はどのようなものであるか?をあらためて考えておきたい。

 十字架は、滅びゆく者には愚かなものであるが、信じる者にとっては大いなる神の力となる。

コリントの教会は、この十字架の力を知っていたが、人間の好み・意見が優先されて、十字架が二の次となってしまっていた。このコリントの教会に象徴されるように、私達人間には持って生まれたエゴイズムがあり、気付いてはいるが解決できないという自己矛盾を抱えている。この自己矛盾は自分では決して脱することはできず、十字架に示される神の赦しの愛によってのみ、内側から変えられて神と人とに仕える建設的な生き方ができるようになるのである。 

十字架の愛は、歴史を超えた神が歴史の中で示された歴史の力である。そして徹底的に低くなり人々に仕えられた神の愛を知ることによって方向転換をしてこそ、謙遜に他人の尊厳を認めることができるのである。

 新しい年度、主イエスの十字架の愛にとらえられて、新しく造り変えられ、良きわざを実践してゆく力を得てゆきたい。                                                                                                    



BGMはBachの作品996番「リュート組曲」 です。
リュートは,15世紀より約2世紀以上使用されたハープシコードに取って変わられた楽器である。
バッハのリュート作品は全部で七曲現存している。

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