4月14日  「生命輝かせる」  マルコによる福音書11-8  米田芳生牧師

「洗礼者ヨハネ,教えを宣べる」

1 神の子イエス.キリストの福音の初め。

預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ,わたしはあなたより先に使者を遣わし,あなたの道を準備させよう。

荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え,その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、

4 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて,罪の許しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

5 ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆,ヨハネのもとに来て,罪を告白し,ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。

6 ヨハネはらくだの毛衣を着,腰に革の帯を締め,いなごと野蜜を食べていた。

7 彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が,後から来られる。わたしは,かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。」

8 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが,その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

イエス・キリストの福音の初め--これは単なる書き出しではなく,この言葉がすべての個所において継続・発展させられていくという宣言である。私たちにとって一番大切なものは福音であり,「この福音を見よ」と私たちの立つべき原点がここにしるされている。福音とはよき知らせである。しかし,私たちはこの言葉の真の輝きを理解しているだろうか。

福音のスタートは荒れ野だった。信じあえない人間の現実に心を痛めたり、喜びのうちに一週間を過ごせない,そうした私達の普段の生活にひそむ荒れ野。そこには喜びなどないと考えがちである。しかし,よきおとずれはそこに始まるのだ。主は私たちに何を語っているか,この困難を通して何をしろと言っているのかを求めなければならない。

ヨハネは荒れ野でイエスを待ち望み,イエスのために苦しみに耐え,福音を宣べ伝えた。それが時を経て,私たちの教会にまでつながっている。ヨハネのように主を見上げ,生命を輝かせるなら,彼の元に人々が集まったように私たちのところにも人々が集うだろう。私たちの命はすでに尽きることのない輝きをもっている。この命を輝かせてしっかり荒れ野を歩んでいこう。                                      



BGMはBachのカンタータ78番「イエスよ,わが魂よ」 です。

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