12月7日 「待望する喜び」 ルカによる福音書
1章26-38節
東方敬信牧師
「イエスの誕生が予告される」
26
六ヶ月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。27
ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。28
天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」29
マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。30
すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。31
あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。32
その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。33
彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」34
マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」35
天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。36
あなたの親類のエリザベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六ヶ月になっている。37
神にできないことは一つもない。」38
マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
私たちは、イエス・キリストを迎える準備の時の中にいます。
ルカ福音書の今日の箇所では、マリヤの驚き戸惑いが記されている。マリアにとってクリスマスの出来事は、突然の出来事であり、神との出会いは驚きであった。このことは聖書の救いの記事では当然のこととして気づくべきことである。私たちが神と出会うときは常に、唐突に突然にそのときがくる。
申命記七章六節以下で、どの民よりも弱いイスラエルの民が主に選ばれ、神の民とされたと記されている。 私たちも神に出会うことを真剣に考えてみなければならない。神との出会いは、主がともにいてくださるということを信じることです。
私たちの罪を負うために、この世にこられた救い主イエスから王座がはじまるのです。 悔い改めをもって、感謝をもってひざまずく者の前に主イエスの第2の誕生がある。
信仰は、マリアのように謙虚に神を受け入れ神の道具としてお用いくださいと神に従うことです。私たちは、神の僕となる自由を与えられています。ともに神に仕え、平和を作り出す者となりたい。
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