12月28日  「主との出会い」  マルコによる福音書141-9

「イエスを殺す計略」

1 さて、過越祭と除酵祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、何とか計略を用いてイエスを捕えて殺そうと考えていた。

2 彼らは、「民衆が騒ぎだすといけないから、祭りの間はやめておこう」と言っていた。

「ベタニアで香油を注がれる」

3   イエスがベタニアでらい病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壷を持ってきて、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。

4   そこにいた人のの何人かが、憤慨して互いに言った。「何故、こんなに香油を無駄使いしたのか。

5 この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人人に施すことができるのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。

6  イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。

7 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。

8 この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。

9 はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が述べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられうだろう。」

主イエス・キリストがご受難を前にして弟子達に告別説教を語られた後、重い皮膚病の人シモンの家で食事の席に着いておられた時、一人の女が非常に高価なナルドの香油の壷を割り、香油をイエスの頭に注ぎかけた。人々は無駄使いとして女を責めたが、イエスは女の行為を良しとされた。

香油を売って貧しい人たちに施しをすべきとの人々の非難は一見正しそうで、女の行為は愚かなものと映る。しかし、女の行為は主イエス・キリストに出会い、主を救い主メシアであると確信し、それを告白する喜びに満ち溢れて高価な香油を全て主に献げたのである。非難した人々が本当に貧しき人たちへの愛を持っていたならば黙しておこなった筈である。実際は、彼らは傍観者にすぎなかった。

私たち主イエスを信じ、主イエスのみ言葉に生きるということは、主イエスから「み言葉を受けて私に何をしたのか」と何時も呼びかけられ問われて歩んでいるということだ。その答は、ナルドの女の行為に対する主イエスのみ言葉にある。主イエスは、「この人はできるかぎりのことをした」と答えられた。即ち、主と出会い香油を注ぐ姿であり、主イエスを我が救い主として確信し、主の十字架をしっかり自分の中に持って歩む姿である。

私たちは主に出会っている。その中で、主イエスから、私に何をしたのかと問われているその歩みをしっかりと見出して歩みたい。

 

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