12月14日  「わたしの言葉の中で生きよ」  マルコによる福音書1328-37

「いちじくの木の教え」

28 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。

29 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。

30 はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。

31 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

「目を覚ましていなさい」

32 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。

33 気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。

34 それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。

35 だから、目を覚ましていなさい。いつ主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。

36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。

37 あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」

主は告別説教の最後の部分で終末を「いちじくの木から教えを学べ」と言われる。誰の目にも分かる徴で終末の日は来ると言われる。しかし夏の新しい命が芽を出す様に終末は、喜びの日であることを示された。これを真に知り、確信できるのは「天地は滅びるが,私の言葉は決して滅びない」その宣言である。私たち自身がこの土台に立たないとき、必ず世の様々な価値観に揺らされる。

主イエスは、終末の日は誰も知らないと言われるが、人の子が戸口に近づいていることを悟りなさいとも教えられる。同じ姿がヨハネ黙示録320節にあり、主が呼びかける姿が記される。その主の叩く呼びかけを聞くために、「気をつけて、目を覚ましていなさい」と歩むべき姿を示される。気をつけ目を覚ますものは、「わたしの言葉」神の言葉であり、故にみ言葉は命の糧となる。

主イエスは、「あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ」と命じる。わたし達が述べ伝える伝道の業は、何より私たち自身がもう一度「わたしの言葉」を確信させられるその恵みに他ならない。故に、Uテモテ42節のみ言葉にもある言葉が自分自身を真の道へと導く。神の示す「わたしの言葉」の中でしっかり日々を生きぬきたい。主はわたし達の心の戸口に立って呼びかけて下さる。その呼びかけに応え、み言葉を確信し伝道へと進まされたい。

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