11月23日  「示される歩み」  マルコによる福音書13章1-13節

「神殿の崩壊を予告する」

1 イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」

2 イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」

「終末の徴」

3   イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。

4   「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」

5 イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。

6 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。

7 戦争の騒ぎや戦争の噂を聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。

8 民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは生みの苦しみの始まりである。

9 あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。

10 しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。

11 引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。

12 兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。

13 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」

弟子達はエルサレムにある神殿の壮麗さに驚き、それをイエスに伝えた。しかしイエスはこの神殿さえ崩壊することを予言した。弟子達が目に見える姿に支配され、その本質を見失っていることを見ぬき警告したのである。今や神殿の必要がない真の礼拝をする時が近づいていることを主は強く示された。弟子達はいつもイエスに神の知恵を知らされながら、それを身につけることができず、この時もイエスの述べられたことを理解しなかった

人間の知識欲の究極は世の初めと終わりがどんなものかを知ることだといわれている。主を信じる私達は、現実を手がかりにしてそこからさかのぼり始まりを知るのではなく、神の言葉によって初めを示される。神の言葉がしっかりとしたゆるぎのない源となる。世の終わりも同じである。主の提示した産みの苦しみの始まりという具体例を恐怖の思いで見るならそれは出来事に支配されていることになる。しかし、主を信じる者には終末の時は主の支配を待つ日、喜びの歩みである。私達はこの喜び、つまり福音を多くの人に伝えなければならない。

 

 

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