11月16日 「神の愛にこたえて」 マルコによる福音書
12章41-44節
「やもめの献金」
41
イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。42
ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クアドランスを入れた。43
イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。44
皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」
今朝の聖書の箇所で、聖書は素晴らしい姿を示した一人の女性を伝えている。
当時やもめとなった女性は、厳しい状況に中におかれていた。しかし、主イエス・キリストだけがやもめの捧げる姿に目をとめ、祝福をもって教えられている。このやもめの姿は神のみこころにかなった姿として読み進めることができるのである。
主イエスはすべてのことをご存知のお方である。わたしたちは、心とからだのすべてを神に向けて礼拝を捧げているであろうか。
神の言葉は力に満ち溢れている。
この献金の教えは、神の領分、人間の領分をはっきり示すものである。アダムとエバは神の領分を犯したゆえに追放された。
献金の規定を示す前の箇所、マラキ書三章六節では、まず神の祝福が約束され、その中から規定どおりに捧げなさいとある。
すべてを与えてくださるのは神である。やもめは生活のすべてを神の前に捧げている。それは、すべては神に与えられ神のものゆえに神にまずお返しするその自然な心のあらわれである。それは、主イエスが進まれる十字架への道が示す姿である。神は愛であると、み言葉は私たちに日々語りかける。まず愛されている自分を知り、神の愛を確信し歩みだす。その姿が神の愛にこたえて歩む平安な真の歩みとなる。
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