10月5日 「主イエスの作品」 マルコによる福音書3章13−19節
東方敬信牧師
「十二人を選ぶ」
13
イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。14
そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、15
悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。16
こうして十二人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた。17
ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス,すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。18
アンデレ、フイリポ、バルトマイ,マタイ、トマス、アルフアイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、19
それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。
主イエスは伝道の始めに心を込めて芸術作品を製作するように、十二人を選ばれて弟子に任命された。そして、この十二という数字には神の民イスラエルの回復・再建という思いが込められていたのである。
旧約聖書サムエル記には、神の民イスラエルの危機が描かれている。サムエルの息子の不正をみて、イスラエルの長老たちは他の国のように王を選ぶことをサムエルに求めた。これは本当の王である神を退け、神を身近に感じることができなくなると同時に、強制力による共同体(=国家)を作ることであり、神の愛による共同体が崩壊する危機的状況である。
これに対して、主イエスの求められる神の愛による共同体(=教会)は、自発的な決断によって成立する信仰を基本として、自由な感謝の献金と一人一人の決断の尊重によって形成されているため、本当の人間性を表すことができるのである。
私達はどのように生きるべきかを本日の聖書の箇所は以下のように示している。@イエス・キリストの傍に居る存在として聖なる愛に満たされ、A生きるべき道を備えられて、神を愛し隣人を愛する道に進みながら、和解と平和の福音の証しをして、B物事を深く考えず武力と損得勘定に価値を見出す時代の病を超えて生きる。この三点を教会における礼拝で確認することにより、神の民・芸術作品として、主イエスに作られる者となるのである。
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