10月19日  「私達の原点」   マルコによる福音書 十二章十八節〜二七節

「復活についての問答」

18 復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスのところへ来て尋ねた。

19 「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。

20 ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、跡継ぎを残さないで死にました。

21 次男がその女を妻にしましたが、跡継ぎを残さないで死に、三男も同様でした。

22 こうして、七人とも跡継ぎを残しませんでした。最後にその女も死にました。

23 復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」

24 イエスは言われた。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。

25 死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。

26 死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の箇所で、神がモーセにどう言われたが、読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。

27 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。」

       福音書は復活の事実を呼吸し、輝き、生き続けている神の言葉です。

 今朝の箇所は復活ついての一つの論争を示す場面です。これは、論争をとおして
  主イエス・キリストが与えてくださる宣言です。

     聖書の基本線は、なくてはならない生命の言葉としてみことばをうけることです。

 復活を信じないサドカイ派は目にみえることだけを根拠にしている現実主義といえる人々であり、
  現実に適応する神の言葉を求めていた。

     結婚の掟を通しての論争は、死を越えるもの、現実を正しくみい出していない。

 教会に集う者は現実を知るものでなければならない。神の祝福を伝え続けなければならない。

 聖書が豊かに示す神は、死を生命にかえてくださる神である。主イエスは神なき世界、
  死に直面し崩れさるものをモーセの書を用いて示し、アブラハム、イサク、ヤコブをとおして
  死をもっても断ち切ることの出来ない復活の神を示される。

  復活の希望、主イエス・キリストを生命の糧として、ゆるぐことのない確信の中で
  生きることにより、日々、復活の生命を新たにされるのです。

 

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