2004年1月4日 新年礼拝 「新しく迎え入れよう」 マルコによる福音書11章1-11節
東方敬信牧師
1
一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、2
言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだ誰も乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。3
もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。4
二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。5
すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。6
二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。7
二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。8
多くの人が自分の服を道に敷き、又、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。9
そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。
主の名によって来られる方に、
祝福があるように。
10
我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。
いと高きところにホサナ。」
11
こうして、イエスはエルサレムについて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出で行かれた。
私たちが毎日曜礼拝をささげているこの礼拝堂が,国の文化財として登録されたことは意義深い。私たちに信仰と文化との関わりを与えられ、イエス・キリストを知った者として文化のただ中で信仰生活を守り、新しい使命に生きること、人間を超えた高いものを見上げ、信仰によって生かされていることを確認する。
今朝の聖書の箇所で主イエスは柔和な王としてロバに乗ってエルサレムにお入りになった。 すべての人々が罪から開放され、互いに許しあい愛し合うことは、イエス・キリストの十字架の力によるほかない。 主イエスがろばの子に乗られたというのは、象徴的である。ろばは柔和で忍耐強い。 それは、私たちの負いきれない罪の重荷を身に追って十字架の苦難の道を歩まれた主イエス・キリストの姿にふさわしいのである。 私たちは、今、心の扉を開いてイエス・キリストを受け入れ、イエス・キリストの愛にこたえて生きることをはじめなければならない。
『主がお入ようなのです』このみ言葉を生きがいの土台として、主のため、神の栄光のために、神が必要とされている存在であることを確信して生きることが幸いな生き方です。