2007年9月2日

「絶望からの出発」

   東方敬信牧師

詩編 22篇1〜12節
マルコによる福音書 15章33〜41節

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主イエスは十字架の上で柔らかい声で七つの言葉を発せられ、教会はこれらの言葉を2000年の間、銀貨として守り続けている。しかし主イエスは一回だけ大声を出し叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」。教会は、この強烈な苦悩の叫びを「遺棄の叫び」と呼んだ。この叫びは、しばしばソクラテスの理性的な死と比較されるが、主イエスの苦悶・孤独・疑問との正に血まみれの闘いであった。

聖書学者の中には、この苦悩の叫びを何とか和らげようと、神への信頼を謳った詩編22篇23節以下をあまりに早く用いようとする人がいる。しかし、主イエスの遺棄の叫びは闘いの叫びであり、ヘブライ人への手紙4章15節にある私達と同様の試練にあわれたと考えるのが正しい。「引き受けたことのない痛みは救うことができない」という初代教会の考え方に引き継がれているが、主イエスが試練を引き受けたことで、初めて救いが実現するからである。

遺棄された主イエスだからこそ、現代の世の中で孤独に耐え切れず死を選ぶ若者にも、「それでも主イエスがいてくださる」という救いの福音を宣べ伝えることができるのである。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と父なる神に疑問をぶつけた主イエスの言葉の土台には、神に対する信頼がある。

遺棄された救い主であるイエス・キリストは、私達のジレンマ・苦悩・涙・無力さをわかっていて、主としてよみがえられた方である。

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