916 『復活の驚き』              東方敬信牧師

 エゼキエル書371節〜14
         マルコによる福音書161節〜8

宗教への関心は薄く、国際感覚から見て、日本人は特殊な人々とみられる。人を愛する、働く、老いる、死を迎えることなど、生きる意味に触れずにいる。根本的に人を活かすものは何かに思いを致さないのである。

 マルコ福音書において人類の救いが現わされているが、救いの主が十字架の死で終わるのではなく、復活について語られている。

 エゼキエル書には、枯れた骨が生き返り、神の民となったと記されている。現実に押しつぶされない新しい生命の誕生である。神の愛が立て直してくださるとの力強いメッセージである。

 マルコによる福音書は復活の出来事を暗黒からスタートさせている。福音書では、婦人たちは墓のほうを向いて座っていたとある。婦人たちはどのような思いであったのか。十字架に至る出来事を、思い巡らしていたと思われる。重苦しい現実の力に呆然としていたであろう。しかし4節には、眼を上げてみるとすでに石が転がしてあり、非常に驚いたとある。復活の出来事は普段の事柄とは違う反対ロゴスの出来事である。普通のあきらめの論理を突破するのである。十字架の後に復活の出来事がなければ、救いも神の国もない。墓にいた若者がペトロや弟子たちにこの出来事を告げるように言い、ガリラヤで主イエスにお目にかかれると言っている。ガリラヤで主イエスと会えるとの約束は私たちに未来を与える。主が共にいてくださるとの力強いメッセージは主に従うものに希望を与える。主イエスを見つめる人生には、主の「私があなた方を支える」という約束が輝く。

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