7月22日 「偽りの裁判」 イザヤ書50章4-9節、マルコによる福音書14章53-65節
秋葉恭子牧師
4 主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え
疲れた人を励ますように
言葉を呼び覚ましてくださる。
朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし
弟子として聞き従うようにしてくださる。
5 主なる神はわたしの耳を開かれた。
わたしは逆らわず、退かなかった。
6 打とうとする者には背中をまかせ
ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。
7 主なる神が助けてくださるから
わたしはそれを嘲りとは思わない。
わたしは顔を硬い石のようにする。
わたしは知っている
わたしが辱められることはない、と。
8 わたしの正しさを認める方は近くにいます。
誰がわたしと共に争ってくれるのか
われわれは共に立とう。
誰がわたしを訴えるのか
わたしに向かって来るがよい。
9 見よ、主なる神が助けてくださる。
誰がわたしを罪に定めえよう。
見よ、彼らは全て衣のように朽ち
しみに食い尽くされるであろう。
マルコによる福音書14章
53 人々は、イエスを大祭司のところへ連れて行った。祭司長、長老、立法学者たちが皆、集まって来た。
54 ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで入って、下役たちと一緒に座って、火にあたっていた。
55 祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にするためイエスにとって不利な証言を求めたが、得られなかった。
56 多くの者がイエスに不利な偽証をしたが、その証言は食い違っていたからである。
57 すると、数人の者が立ち上がって、イエスに不利な偽証をした。
58 「この男が、『わたしは人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば、手で造らない別の神殿を建ててみせる』と言うのを、わたしたちは聞きました。」
59 しかし、この場合も、彼らの証言は食い違った。
60 そこで、大祭司は立ち上がり、真ん中に進み出て、イエスに尋ねた。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」
61 しかし、イエスは黙り続け何もお答えにならなかった。そこで,重ねて大祭司は尋ね、「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と言った。
62 イエスは言われた。「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る。」
63 大祭司は、衣を引き裂きながら言った。「これでもまだ証人が必要だろうか。
64 諸君は冒涜の言葉を聞いた。どう考えるか。」一同は、死刑にすべきだと決議した。
65 それから、ある者はイエスに唾を吐きかけ、目隠しをしてこぶしで殴りつけ、「言い当ててみろ」と言い始めた。また下役たちは、イエスを平手で打った。
最高法院は申命記によって死刑の基準が示されているにも係わらず、判決は死刑であると予め決めていた。偽りの地位を危うくする、真理である主イエスを恐れ、意図的に不利な証言や偽証による見せかけだけの偽りの裁判を開いたが、当然のことながら決定的な証拠は得られなかった。その裁判で主イエスは、イザヤ書53章「主の僕の苦難と死」に描かれる屠り場に引かれる小羊のように口を開かなかったが、大祭司の「お前はほむべき方の子、メシアなのか」との問いに対して、御自分を人の子・メシアであると明言され、全人類の罪の贖い主として御自分を現わされた。すなわち、主イエスの受難と復活、昇天と再臨により、神の義と愛、正しさと慈しみによる支配が完成し、人々が神の国に入ることが明らかにされたのである。
ヨハネによる福音書1章にあるように、「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」のであり、マルコによる福音書は、偽りの裁判という暗闇を用いて、主イエス・キリストの福音の光と神の国の到来を、より鮮やかに輝かせている。父である神の計画による主イエス・キリストの十字架への道は、私達の罪の贖いのため、神の国への希望を開くためのものであることが、偽りの裁判の暗闇の中で明らかにされた。暗闇の中の希望の光、主イエス・キリストによって与えられている壮大で晴れやかな救いの景色を心に描きながら、その景色を一人でも多くの人が見られるように伝道に励む教会生活を送ってゆきたい。