7月15日 「逃げ出した私」 イザヤ書536-10節、

マルコによる福音書1443-52節 

東方敬信牧師

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イザヤ書
53章 

6 わたしたちは羊の群れ

  道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。

  そのわたしたちの罪をすべて

    主は彼に負わせられた。

7   苦役を課せられて、かがみ込み、

  彼は口を開かなかった。

  屠り場に引かれる子羊のように

  毛を切る者の前に物を言わない羊のように

  彼は口を開かなかった。

8   捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。

  彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか

  わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり

  命ある者の地から絶たれたことを。

9   彼は不法を働かず

  その口に偽りもなかったのに

  その墓は神に逆らう者と共にされ

  富める者と共に葬られた。

10  病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ

  彼は自らを償いの献げ物とした。

  彼は、子孫が末永く続くのを見る。

  主の望まれることは

    彼の手によって成し遂げられる。

 

マルコによる福音書14

43 さて、イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダが進み寄って来た。祭司長、立法学者、長老たちの遣わした群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。

44 イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け」と前もって合図を決めていた。

45 ユダはやって来るとすぐに、イエスに近寄り、「先生」と言って接吻した。

46 人々は、イエスに手をかけて捕らえた。

47 居合わせた人々のうちのある者が、剣を抜いて大祭司の手下に打ってかかり、片方の耳を切り落とした。

48 そこで、イエスは彼らに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。

49 わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。しかし、これは聖書の言葉が実現するためである。」

50 弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。

51 一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、

52 亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。

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一人の人が全体に圧倒的な影響を与える場面に遭遇することがある。積極的に活動していた女子学生が、運動から遠のいている一人ひとりを裁くのではなく、「神の愛によって人を愛せるようにしてください」と新しいレベルに立つ圧倒的な祈りをいのった場面に遭遇した。

 今日の聖書の個所の若者は人類の一大事に気付いていない。これは自分のことで精一杯の私たちのことでもある。しかし、この若者はマルコ福音書の著者である。この人類の救いに気づかない若者さえつくりかえ、聖書を記させた主イエス・キリストの救いの大きさを知らされる。

 その大きさは、人類の心の闇を克服するところに示される。ユダは友情のしるしの接吻を使って裏切る闇を示した。私たちにも心の暗闇はあるのではないか。エフェソの信徒への手紙には、暗闇の支配者に立ち向うことがしるされる。主イエス・キリストは闇と戦い打ち勝たれた。またコロサイの信徒への手紙には「御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。」とある。(1章13節) 初代教会の信仰は闇の世界に打ち勝ったのである。私たちは主イエス・キリストにより聖なる者、疵のない者として明るみの世界におかれて、生きることができる。それは、明るみに到達した祈り、他者のための祈りである。

 闇の中から救い出された者として歩んでいきたい。

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