6月3日 「目覚めて生きる」 ホセア書14章2−10節、
マルコによる福音書13章14−37節
東方敬信牧師
2
イスラエルよ、立ち帰れ
あなたの神、主のもとへ。
あなたは咎につまずき、悪の中にいる。
3
誓いの言葉を携え
主に立ち帰って言え。
「すべての悪を取り去り
恵みをお与えください。
この唇をもって誓ったことを果たします。
4
アッシリアはわたしたちの救いではありません。
わたしたちはもはや軍馬に乗りません。
自分の手が造ったものを
再びわたしたちの神とは呼びません。
親を失った者は
あなたにこそ憐れみを見いだします。」
5
わたしは背く彼らをいやし
喜んで彼らを愛する。
まことに、わたしの怒りは彼らを離れ去った。
6 露のようにわたしはイスラエルに臨み
彼はゆりのように花咲き
レバノンの杉のように根を張る。
7
その若枝は広がり
オリーブのように美しく
レバノン杉のように香る。
8
その陰に宿る人々は再び
麦のように育ち
ぶどうのように花咲く。
彼はレバノンのぶどう酒のようにたたえられる。
9
ああエフライム
なおも、わたしを偶像と比べるのか。
彼の求めにこたえ
彼を見守るのはわたしではないか。
わたしは命に満ちた糸杉。
あなたは、わたしによって実を結ぶ。
10
知恵ある者はこれらのことをわきまえよ。
わきまえある者はそれを悟れ。
主の道は正しい。
神に従う者はその道に歩み
神に背く者はその道につまずく。
マルコによる福音書13章
14 「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら―読者は悟れ―、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。
15 屋上にいる者は下に降りてはならない。家にある物を何か取り出そうとして中に入ってはならない。
16 畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。
17 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。
18 このことが冬に起こらないように、祈りなさい。
19 それらの日には、神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来るからである。
20 主がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、主はご自分のものとして選んだ人たちのために、その期間を縮めてくださったのである。
21 そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない。
22 偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちを惑わそうとするからである。
23 だから、あなたがたは気をつけていなさい。一切の事を前もって言っておく。」
24 「それらの日には、このような苦難の後、
太陽は暗くなり、
月は光を放たず、
25 星は空から落ち、
天体は揺る動かされる。
26 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
27 そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
28 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分る。
29 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。
30 はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。
31 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
32 『その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存知である。
33 気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分らないからである。
34 それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。
35 だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰ってくるのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分らないからである。
36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。
37 あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」
本日の聖書の箇所で繰り返されている「目覚めている」とは何に目覚めていなければならないのだろうか?マルコによる福音書は、ユダヤ戦争の時代背景もあり、終わりは困難な危機的状況に陥ることを示して、終わりに対して目覚めていることを教えている。
私達日本人も阪神淡路大地震で死に直面する危機を経験したが、東京で呆然としている者に対して被災したキリスト者から「無からの出発を思い直すべきテーマを与えられた」との手紙により大きな勇気を与えられた。これは死に直面する危機的状況の中で神様と出会う美しさ−危機美―というべきものであろう。聖書の物語の中でも、兄エサウを裏切った弟ヤコブが、危機的状況の中で神の使者と組み打ちながらも繰り返し祈ることにより、エサウの和解の眼差しと出会ったことも危機美のひとつである。
私達も右往左往するのではなく、イエス・キリストが私達に委ねられた各々の仕事を、信仰において主に仕える姿勢を保ち続けつつ行うことが必要である。「平民の福音」を著した山室軍平氏は、才能があり語学が堪能であったにもかかわらず、平易に福音を語った。そこには信仰者の本来の姿である、混じりのない奉仕の輝きがある。
私達は、十字架により罪を裁かれ、赦され、そして新しい出発をして神のもとに生かされている。これも危機美である。キリスト者は、闇の中で一番先頭に立って希望の光を待っている。その目覚めに絶えず祈り求めて歩んでゆきたい。