6月24日 「わたしの体、わたしの血」 ゼカリヤ書9章11節、
マルコによる福音書14章22−26節
秋葉恭子牧師
11
またあなたについては
あなたと結んだ契約の血のゆえに
わたしはあなたの捕らわれ人を
水のない穴から解き放つ。
マルコによる福音書14章
22 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」
23 また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。
24 そして、イエスは言われた。「声rは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。
25 はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」
26 一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。
過越の祭りの食事中イエスはパンをとり、「取りなさい。これは私の体である。」それから杯を取り感謝して「多くの人のために流すわたしの契約の血である」と渡された。これは、主イエスがご自身を記念するものとして、私たちが大切に守っている聖餐式を制定されたことを示している。過越の祭は、出エジプト記に記されているようにイスラエルの民が奴隷であったエジプトの地から解放されたことを祝う祭りであり、主イエスの十字架によって私たちが罪から解放されることと重ね合わされている。ゼカリア書は、罪に囚われている私達を、神がイエスの死(契約の血)によって解放されるという預言を記している。
旧約における重要な概念が、「契約」であり、「契約の血」は、神と、神の民との契約が結ばれたとき振り掛けられたものである。契約を破った人間に対し、神が一方的に新しい契約を結び直す恵みの預言がエレミア書31章に示され、その預言が主イエスにおいて実現した。主イエスの「わたしの体」、十字架で流される「わたしの血」で新しい契約が結ばれたのである。
主イエスは過越の祭りに屠られる子羊をご自分にたとえられ、パンを裂くことで弟子達に十字架の受難を伝えられた。主イエスの復活後、聖霊を受けた弟子達は、神が周到に用意なさったこの過越祭の食事の意味を心底味わった。洗礼から聖餐への道筋である。この食事は主イエス〜弟子達〜初代教会〜パウロと伝わり、「わたしの体、わたしの血」はキリストを記念し、信仰を生きた信仰に保ち続ける、世々のキリスト者の最も恐れ多く、恵み深い大切な聖餐の恵みとなった。2000年余に渡って伝承されてきた十字架と復活・神の深い愛をこの世に明確に伝えて行く者でありたい。