6月10日 「わたしの葬りのために」 申命記15章7−11節、
マルコによる福音書14章1−9節
秋葉恭子牧師
7
あなたの神、主が与えられる土地で、どこかの町に貧しい同胞が一人でもいるならば、その貧しい同胞に対して心をかたくなにせず、手を閉ざすことなく、
8
彼に手を大きく開いて、必要とするものを十分に貸し与えなさい。
9
「七年目の負債免除の年が近づいた」と、よこしまな考えを持って、貧しい同胞を見捨て、物を断ることのないように注意しなさい。その同胞があなたを主に訴えるならば、あなたは罪に問われよう。
10
彼に必ず与えなさい。また与えるとき、心に未練があってはならない。このことのために、あなたの神、主はあなたの手の働きすべてを祝福してくださる。
11
この国から貧しい者がいなくなることはないであろう。それゆえ、わたしはあなたに命じる。この国に住む同胞のうち、生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい。
マルコによる福音書14章
1
さて、過越祭と除酵祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、なんとか計略を用いてイエスを捕らえて殺そうと考えていた。
2
彼らは、「民衆が騒ぎだすといけないから、祭りの間はやめておこう」と言っていた。
3
イエスがベタニアでらい病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。
4
そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。
5
この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。
6 イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。
7
貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。
8
この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。
9
はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
300デナリオン,つまり,300日分の仕事の報酬に相当する非常に高価なナルドの香油を主イエスの頭に注ぎかけた女に対し主イエスは、「わたしに良いことをしてくれた。この人はできるかぎりのことをした。」と言われた。主イエスは、高価な香油に対してではなく、女の主イエスの福音によって救われたことへの心からの感謝、神殿でレプトン銅貨2枚を入れた貧しいやもめと同様、持てるものをすべて捧げてできるかぎりのことをしたこと、を良しとされたのである。
弟子たちは、「貧しい人々の施すことができるのに」と言って女の無駄遣いを非難したが、弟子たちは主イエスが3度も死と復活を予告されたにもかからず、理解できず、或いは理解しようとせず現実から逃避し、単に一般的な正論を述べていたに過ぎない。否、弟子たちは実際に高価な香油を手にした時それを売って貧しい人々に施したであろうか。女は自分を苦しみから救ってくれた主イエスのまじかな死を直感して、何とか自分の感謝の気持ちを伝えたい一心であった。主は孤独の中で理解者を得て慰められる思いではなかったか。
主イエスは、「前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。」と言われ、女のしたことは福音の証として世界中に伝えられる、と言われた。キリスト者は「新しい天と新しい地」を約束されて、この世でお互いに喜んで埋葬の準備を整えている日々を歩んでいる。死から目をそらすことなく、それ故、互いに生きている間真剣に相手とかかわりを持つ、愛を持って互いに接する。そのような歩みが、主イエスの十字架の死と復活を信じ、主イエスの十字架の愛に応えるキリスト者としての歩みであろう。できるかぎりの、すべてを捧げて主に従うあゆみを歩み続けたい。