4月22日 「心と魂と力を尽くして」 申命記6章4-7節、
マルコによる福音書12章28-37節
秋葉恭子牧師
申命記6章
5
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
6 今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、
7
子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。
マルコによる福音書12章
28 彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになたのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
29 イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
30 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
31 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」
32 律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。
33 そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』と言うことは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」
34 イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問するものはなかった。
35 イエスは神殿の境内で教えていたとき、こう言われた。「どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。
36 ダビデ自身が聖霊を受けて言っている。
『主は、わたしの主にお告げになった。
「わたしの右の座に着きなさい。
わたしがあなたの敵を
あなたの足もとに屈服させるときまで」と。』
37 このようにダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」大勢の群衆は、イエスの教えに喜んで耳を傾けた。
最も重要な掟として主イエスが律法学者の一人にお答えになった「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」、そして、「隣人を自分のように愛しなさい。」の戒めは、主イエスの福音の核心であり、十字架の死と復活によりご自身でこのことを実践された。主イエスに従う者として、私達は日々の歩みにおいて、起きている時も、寝ている時も、私達の全存在を傾けて「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主イエスを愛し、また隣人を自分のように愛する」道を歩みたいと思う。
2007年度、私達は「伝道のパイエテイ」を養うことを課題として歩みだしている。私達が、主イエスの十字架の愛によって救われた恵みと喜びに満たされ心から感謝するならば、主イエスの愛、神の愛に私達の全存在を傾けて応えたいとの思いが私達の内に沸き起こらざるを得ない。自分が救われた喜びと恵みを他の人々に分け与えたいとの思いも強く持つであろう。そのような神を愛する姿勢が、伝道のパイエテイを自然に創り出していくのである。主イエスを愛し、主イエス・キリストの体である教会を愛し、その愛から沸き起こる伝道のパイエテイを着実に育てて行きたい。
神を愛することは、神を畏れることでもある。現代社会、日本の社会は今、真に畏れるべきものを喪失しており、それが様々な事故や事件の根本にある。キリスト教の倫理の基礎は、「あなたの神を畏れなさい。わたしは主である」という神の宣言にある。絶対的に正しく、清らかであり、全知全能であられる神への畏怖が、キリスト者の思いと行いの規範であることをしっかり心に留めておきたい。