4月15日 「生きている者の神」 ヨブ記19章 23節〜27節、
マルコによる福音書 12章18節〜27節
東方 敬信牧師
ヨブ記19章
23 どうか
わたしの言葉が書き留められるように
碑文として刻まれるように。
24 たがねで岩に刻まれ、鉛で黒々と記され
いつまでも残るように。
25 わたしは知っている
わたしを贖う方は生きておられ
ついには塵の上に立たれるであろう
26 この皮膚が損なわれようとも
この身をもって
わたしは神を仰ぎ見るであろう。
27 このわたしが仰ぎ見る
ほかならぬこの目で見る。
腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入る。
マルコによる福音書 12章
18 復活はないといっているサドカイ派の人々が、イエスのところへ来て尋ねた。
19 「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。
20 ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、跡継ぎを残さないで死にました。
21 次男がその女を妻にしましたが、跡継ぎを残さないで死に、三男も同様でした。
22 こうして、七人とも跡継ぎを残しませんでした。最後にその女も死にました。
23 復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」
24 イエスは言われた。「あなたたちは聖書も神に力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。
25 死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。
26 死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の箇所で、神がモーセにどう言われたか、読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』とあるではないか。
27 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。」
「復活」についての歴史的事実は、イエスのお墓が空であったことである。十字架に架けられ死にて葬られたイエスから逃げ出した弟子達が、その後命をかけて宣教した。弟子達の変化を考えた時、十字架の後に何かおこった‥主の復活を体験した弟子達が強く福音をのべ伝える者に変えられていったと考えざるを得ない。主イエスの十字架つまり徹底的に人に支えた方の死に接して絶望の極みであった弟子達は、「復活」を体験してイエスの愛と真実が勝利したことを確信する。イエスの時代にも旧約聖書を読んでいながら復活を否定するサドカイ派がいた。マルコによる福音書で、イエスは彼らに2度も「あなた方は聖書と神の力について思い違いをしている」と語り、神は生きている者の神である、と伝える。旧約聖書全体を通して、またヨブ記にも「あがなう者はちりの上に立たれる」と復活の希望が記されている。初代教会時代を作ったパウロは復活信仰を「死者に命を与える」と告白している。長い年月の迫害に耐えた初代教会は、後に世界中に福音を伝えることとなる。「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」という力強い言葉が記されている。虚無の力を滅ぼした神の力・復活の力によって私達の日常の生活が支えられている。神はヤハウェ‥私はある‥生きている者の神である。