3月4日 「神の豊かさに生きる」 イザヤ書51-7節、

マルコによる福音書121-12節  

東方敬信牧師

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イザヤ書5

1   わたしは歌おう、わたしの愛する者のために

  そのぶどう畑の愛の歌を。

  わたしの愛する者は、肥沃な丘に

    ぶどう畑を持っていた。

2   よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。

  その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り

  良いぶどうが実るのを待った。

  しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。

3   さあ、エルサレムに住む人、ユだの人よ

  わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。

4   わたしがぶどう畑のためになすべきことで

  何か、しなかったことがまだあるというのか。

  わたしは良いぶどうが実るのを待ったのに

  なぜ、酸っぱいぶどうが実ったのか。

5   さあ、お前たちに告げよう

  わたしがこのぶどう畑をどうするか。

  囲いを取り払い、焼かれるにまかせ

  石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ

6 わたしはこれを見捨てる。

  枝は刈り込まれず

  耕されることもなく

  茨やおどろが生い茂るであろう。

  雨を降らせるな、とわたしは雲に命じる。

7   イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑

  主が楽しんで植えられたのはユだの人々。

  主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに

  見よ、流血(ミスパハ)。

  正義(ツエダカ)を待っておられたのに

  見よ、叫喚(ツエアカ)。

 

マルコによる福音書12

1   イエスは、たとえで彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、垣を巡らし、絞り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。

2   収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を受け取るために、僕を農夫たちのところへ送った。

3   だが、農夫たちは、この僕を捕まえて袋だたきにし、何も持たせないで帰した。

4   底でまた、他の僕を送ったが、農夫たちはその頭を殴り、侮辱した。

5   更に、もう一人を送ったが、今度は殺した。その他に多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された。

6 まだ一人、愛する息子がいた。『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。

7   農夫たちは話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』

8   そして、息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった。

9   さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか。戻ってきて農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。

10  聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか。

『家を建てる者の捨てた石、

 これが隅の親石となった。

11  これは、主がなさったことで、

  わたしたちの目には不思議に見える。』」

12  彼らは、イエスが自分たちにあてつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。それで、イエスをその場に残して立ち去った。

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イエス様ならどうされるか。アメリカの町で作られたアクセサリーWWJDの頭文字(What Would Jesus Do)は信仰生活の行動指針を表わしている。

私達の教会のぶどう棚は、教会学校の生徒達がその下でヨハネ福音書の聖書の箇所からぶどうの木がイエス様を意味することを学び、賛美を歌ってお別れをした。ぶどう棚ひとつからもその象徴はどこにあるのかと考えるのが私達の信仰生活である。

今日の聖書の箇所はぶどう園の主人と農夫の譬えである。この箇所は何を象徴している出来事であろうか。主イエスはこの論争を通して、十字架をあぶり出された。神の民の歴史を語り、預言者を迫害してきたことが記された。

主イエスの譬え、垣は備えを表わし、搾り場は実りを確かめる場、見張りは安全の象徴である。このぶどう園の主人は一切を準備した。そして農夫に渡した。神の愛と信頼と期待が現れている。神は人間を自由な存在として一切を与えられた。しかし、人間はその自由を用いて神をないがしろにした。人間の罪の姿である。神への信頼を捨ててしまった人間が神の元へと立ち返れるよう、神はひとり子主イエスを十字架の苦しみによって私たちを救う方としてこの世につかわされた。

 10節の親石の言葉はそれを示している。主イエスを受け入れる事によって私達の人生が強固なものとなる。神の前に悔い改め、打ち砕かれた思いで真実に生き、神に立ち返ろう。

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