2月25日 「何の権威でこのようなことをするのか」 詩編971-12節、

マルコによる福音書1127-33節 

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詩編97

1   主こそ王。

  全地よ、喜びおどれ。

  多くの島々よ、喜び祝え。

2   密雲と濃霧が主の周りに立ちこめ

  正しい裁きが王座の基をなす。

3   火は御前を進み

  周りの敵を焼き滅ぼす。

4   稲妻は世界を照らし出し

  地はそれを見て、身もだえし

5   山々は蝋のように溶ける

  主の御前に、全地の主の御前に。

6 天は主の正しさを告げ知らせ

  すべての民はその栄光を仰ぎ見る。

7   すべて、偶像に使える者

  むなしい神々を誇りとする者は恥を受ける。

  神々はすべて、主に向かってひれ伏す。

8   シオンは聞いて喜び祝い

  ユダのおとめらは喜び踊る

  主よ、あなたの裁きのゆえに。

9   あなたは主、全地に君臨されるいと高き神。

  神々のすべてを超え、あがめられる神。

10  主を愛する人は悪を憎む。

  主の慈しみに生きる人の魂を主は守り

  神に逆らう者の手から助け出してくださる。

11  神に従う人のためには光を

  心のまっすぐな人のためには喜びを

    種蒔いてくださる。

12  神に従う人よ、主にあって喜び祝え。

  聖なる御名に感謝をささげよ。

 

マルコによる福音書11

27 一行はまたエルサレムに来た。イエスが神殿の境内を歩いておられると、祭司長,律法学者、長老達がやって来て、

28 言った。「何の権威で、このようなことをしているのか。誰が、そうする権威を与えたのか。」

29 イエスは言われた。「では、一つだけ尋ねるから、それに答えなさい。そうしたら、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。

30 ヨハネの洗礼は天からのものだったか、それとも、人からのものだったか、答えなさい。」

31 彼らは論じ合った。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。

32 しかし、『人からのものだ』と言えば・・・・・。」彼らは群衆が怖かった。皆が、ヨハネは本当に預言者だと思っていたからである。

33 そこで、彼らはイエスに、「分からない」と答えた。すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」

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イエスは、ユダヤ教の指導者達(祭司長達)と5つの論戦をしている。その中で権威についての論争を挑まれたイエスは、一つの質問をする。「ヨハネのバプテスマは天からであったか、人からであったか」これは、ヨハネは本物の預言者か、偽者か、という問いと同じ意味をもつ。群集は真の預言者ヨハネを信じていた。群集を恐れる祭司長達は、ヨハネについて肯定も否定もできず「わからない」と答えた。イエスは神を冒涜していると訴えた祭司長達は、逆に自分達の不信仰をさらけだしてしまった。彼らは、当時のユダヤで最高権力をもっていた。本来神を恐れ、神に仕えるはずのものが群集を恐れ、自分の考えも述べられず、神を利用して権力の座についていたことがよく現されている。

権威に極度の抵抗を示す権威アレルギーとも言うべき態度が見られることがあるが、権威は資格と通じるものがあり、決して不必要なものではない。ただ、権威の内容が問われ、その内容を充実させていかなければならない。私達キリスト者も洗礼後も学びを続け、分に応じて働きたい。

問われるべき権威の内容とは、その権威の正しさである。正しい権威のもとにおいては、人は自由・平安へと導かれ、自発的に神と隣人を愛するようになる。なぜなら、正しい権威は神から与えられるものであり、詩篇97編によれば、主の偉大な力と正しさに裏付けられているからである。神は主イエスにご自身の権威をお与えになった。パウロはローマ書で、神に由来しない権威はない、今ある権威は神によって与えられたものなので、義務を果たしたい、と権威と奉仕を結びつけた。自分に与えられた義務を果たすことによって、神の権威に服す証を立て、神の秩序を保つ者とさせていただこう。

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背景の旋律は賛美歌第2編124番「マリヤはあゆみぬ」中世紀末期ドイツ・カロルです。