2月18日 「さばきによる救い」 イザヤ書341-4節、

マルコによる福音書1112-26節 

東方敬信牧師

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イザヤ書34章 

1   もろもろの国よ、近づいて聞け

  もろもろの民よ、耳を傾けよ。

  聞け、大地とそこに満ちるすべてのもの

  世界とそこに生ずるすべてのものよ。

2   主はすべての国に向かって憤りを発し

  怒りは、その全軍に及ぶ。

  主は全滅することを定め

  彼らを屠るために渡された。

3   刺し貫かれた人々は投げ捨てられ

  死骸は悪臭を放ち

  山々はその血によって溶ける。

4   天の全軍は衰え

  天は巻物のように巻き上げられる。

  ぶどうの葉がしおれ

  いちじくの葉がしおれるように

  その全軍は力を失う。

 

 

マルコによる福音書1112-26

12  翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。

13  そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなっていないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。

14 イエスはその木に向かって、「今から後いつまでも、お前から実を食べるものがないように」と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。

15 それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛をひっくり返された。

16 また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。

17 そして、人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。

  『わたしの家は、すべての国の人の

祈りの家と呼ばれるべきである。』

  ところが、あなたたちは

   それを強盗の巣にしてしまった。」

18 祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った。群衆が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。

19 夕方になると、イエスは弟子たちと都の外に出て行かれた。

20 翌朝早く、一行は通りがかりに、あのいちじくの木が根元から枯れているのを見た。

21 そこで、ペトロは思い出してイエスに言った。「先生、御覧ください。あなたがのろわれたいちじくの木が、枯れています。」

22 そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。

23 はっきり言っておく。、だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。

24 だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。

25 また、たって祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」

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マルコによる福音書11章は、主イエスがロバの子に乗ってエルサレムに入場されたことを記したが、12節からは奇妙な印象を与える。主イエスの優しい印象にも関わらず、呪い言葉を口にされたからである。いちじくは、ぶどうとともに、旧約では重要なもので、実がならないいちじくは、神の徹底した怒りの象徴である(イザヤ書3414)。しかし、怒りは、愛の別の表現であり、正しくあってほしいとの願いである。育てる愛には鍛錬が必要である。ヘブライ人への手紙12章には、神による鍛練が記されている。神の愛は、鍛錬を伴った育てる愛である。

 15節からの宮清めで、主イエスは珍しく実力行使に出ておられる。エルサレムにはヘロデの宮殿があり、神殿はヘロデ王朝の財源にもなっていた。神殿で行われている売り買いの様は信仰の姿が変質したものと云える。日本の絵馬にも見られる。私たちは『すべての国の人の祈りの家』と『強盗の巣』の間に立たされ、選択をしなければならない。その間に中間はない。それは、自己中心を越えた「とりなしの祈り」を選択するように促している。

さらに、ヨーロッパの教会では礼拝堂の席に座る前に短く祈る。それは、礼拝にふさわしい姿勢を整えるためであるが、日常生活の心の乱れとりわけ諍いの心を悔い改めて礼拝の姿勢になるためである。ここでも育てられる。この箇所は、主イエスの十字架への決意を前提にしているが、十字架は、神の義と愛の合えるところである。十字架は、神の裁きの徹底であり、その裁きが私たちの代わりに主イエスに向けられたという意味では赦しの徹底でもある。この十字架の義と愛こそが人間を建て直し、育てる愛なのである。

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