9月24日 「わたしだ、勇気を出しなさい」 イザヤ書40章28-31節、

                     マルコによる福音書6章45-52節

                      秋葉恭子牧師

 イザヤ書40章

28 あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。

  主は、とこしえにいます神

  地の果てに及ぶすべてのものの造り主。

  倦むことなく、疲れることなく

  その英知は究めがたい。

29 疲れた者に力を与え

  勢いを失っている者に大きな力を与えられる。

30 若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが

31 主に望みをおく人は新たな力を得

  鷲のように翼を張って上る。

  走っても弱ることなく、歩いても疲れない。

 

マルコによる福音書6章

45 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間にご自分は群衆を解散させられた。

46 群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた。

47 夕方になると、船は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた。

48 ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。

49 弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。

50 皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。

51 イエスが舟に乗り込まれると,風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。

52 パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである。

 

 本日のマルコの福音書は、主イエスが湖の上を歩かれる場面が描かれている。「主イエスは、湖の上を歩かれた。この出来事をそのまま事実と信じますか」この問にすぐ私達は「アーメン:確かに」と答えられるだろうか?私達は使徒信条を告白し、聖書の御言葉を神の言葉だと信じている者である。主イエスは神の子であるから湖の上を歩くことなどたやすいことであると自信を持って語るべきではある。常識では考えられないことを、周りからバカにされても信じ抜くとその真剣さに周りが心を動かされることもある。

キリスト者は体が不自由になっても祈ることを許されている。賛美歌308番「祈りは悔いたる罪人らの迷いの道よりかえる声ぞ:いまわの時には父のいえのみ門のひらくる合言葉ぞ」の歌詞にあるように祈りは主イエスがとりなしをして下さる天の父との対話の時である。

イエスが同乗していない船に乗った弟子達は、こぎ悩み逆境に疲れ果てていた。イエスに祈ることも、助けを求めることもせず、湖を歩くイエスを亡霊だと思った。主イエスが「私だ、勇気を出しなさい」と言われたことは、逆境の中でも主は聖霊を通し私達を見捨てられないことを示している。毎日が逆風であっても主イエスから語りかけられ、新しい人生が開かれる。イザヤ書から「神は万物を造り、主に望みをおくものは疲れない」というメッセージを受けた。私達は罪や自我から解放され伸びやかに生きる者とさせて頂いているのである。

 

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