8月6日 「恵みをたたえて」 列王記上5章15-21節、
エフェソの信徒への手紙1章3-14節
東方敬信牧師
列王記5章
15
さて、テイルスの王ヒラムは、ソロモンが油を注がれ、父に代わって王となったことを聞き、家臣を遣わしてきた。ヒラムは常にダビデと友好関係にあったからである。16
ソロモンも使節をヒラムのもとに遣わして、こう言わせた。17
「ご存じのとおり、父ダビデは、主が周囲の敵を彼の足の下に置かれるまで戦いに明け暮れ、その神なる主の御名のために神殿を建てることができませんでした。18
今や、わたしの神、主は周囲の者たちからわたしを守って、安らぎを与えてくださり、敵対する者も、災いをもたらす者もいません。19
ここに至ってわたしは、わたしの神、主の御名のために神殿を建てようと考えています。主が父ダビデに、『わたしがあなたに代えて王座に着かせるあなたの子が、わたしの名のために家を建てる』と言われたからです。20
それゆえ、わたしたちのためにレバノンから杉を切り出すよう、お命じください。わたしの家臣たちもあなたの家臣たちと共に働かせます。あなたの家臣たちへは、仰せのとおりの賃金をわたしが支払います。ご存知のように、当方にはシドンの人のような伐採の熟練者がいないからです。」ヒラムはソロモンの言葉を聞いて大いに喜び、「今日こそ、主はたたえられますように。主は、この大いなる民を治める聡明な子をダビデにお与えになった」と言った。
エフェソの信徒への手紙
1章3
私たちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。4
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。5
イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。6
神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。7
わたしたちはこのみ子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。8
神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、9
秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。10
こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられるのです。11
キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。12
それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。13
あなたがたもまた福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。14
この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。
キリストに結ばれる者は、誰でも新しく創造される。そして背筋を伸ばし、心を若々しく、神をたたえ続けて人生を全うする歩みへと招かれる。
本日の聖書にある「キリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださる」という部分は、地上の生活で神から頂く未来への希望により、平和な世界が生まれるというビジョンを示している。キリストの平和とは、天にある者も地にある者も支え合い、神をほめたたえながら生きてゆくことなのである。
私達はキリストによって、天地創造の前から創り主の目的に参加するよう選ばれ、生かされている。「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さ」を覚えながら、自分を愛の生活でそこに参加するよう変えられる。キリスト者とは、そのような光栄ある生き方に招かれているのである。
また本日の聖書の箇所「輝かしい恵み」は直訳すると「栄光のある恵み」であり、何度も繰り返される「神の栄光をたたえる」につながるものである。ここでいう栄光は、主イエス・キリストの愛による栄光であり、十字架により私達の罪が贖われ、御心のままに全てを行う方の秘められた計画により、私達に降り注いでくる雨のような愛と希望の訪れを表している。
私達は自分の小さな椅子に座っていると窮屈になり、深呼吸して心の柔軟体操が必要となる。神に用いられる人生、「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さ」、そこで深呼吸することにより、その後の生き方が生まれるのである。