マルコによる福音書5章25-34節
秋葉恭子牧師
詩編139編
1
主よ、あなたはわたしを究め
わたしを知っておられる。
2
座るのも立つのも知り
遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
3
歩くのも伏すのも見分け
わたしの道にことごとく通じておられる。
4
わたしの舌がまだ一言も語らぬさきに
主よ、あなたはすべてを知っておられる。
5
前からも後ろからもわたしを囲み
御手をわたしの上に置いていてくださる。
6 その驚くべき知識はわたしを超え
あまりにも高くて到達できない。
マルコによる福音書5章
25 さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。
26 多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役に持ったず、ますます悪くなるだけであった。
27 イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。
28 「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。
29 すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。
30 イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。
31 そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」
32 しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。
33 女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。
34 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」
今日の聖書の箇所にある12年間も出血の病に苦しむ女性は当時の社会からは汚れた者とされていた。レビ記(15章)には汚れについての細かい規定が示されている。汚れを清めるための献げ物は、当時の貧しい人々には大きな負担であった。また、汚れは死に結びついていたので、女性はまわりの人々からは阻害されていた。病む体とともに、孤独、絶望の中にいたのである。イエス・キリストの評判を聞いたこの女性は、イエスの服にでも触れれば癒していただけると確信することがあり、イエスに寄せる信頼へと導かれ、必死な思いでイエスの服に触れた。そして病が癒されたことを、イエスの恵み、祝福を、その体に感じたのである。女性のからし種一粒程の小さな信仰が、すなわち主イエスに寄せる信頼が、イエスの救いの偉大な力を導き出したのである。30節で私の服に触れたのは誰かとの主イエスの言葉に弟子たちは不信仰な形で答えている。一方、33節で、女性は、恐れの思いを持って主イエスの前にひれ伏し、その身に起こった出来事のすべてを、ありのままに話した。主イエスへの信頼ゆえである。それに対する主イエスのお言葉は慈愛に満ちたものであった。主イエスは優しさと慰めに満ちた方であることがわかる。女性の絶望の日々、不安な日々が終わったのである。『あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい』、『元気に暮らしなさい』、この主の励ましのみ言葉に私たちも生かされたい。