72  「種まきの楽しみ」   イザヤ書 52章7〜10節、

マルコによる福音書 4章1〜20節

東方敬信牧師

イザヤ書 52章

 

7   いかに美しいことか

  山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。

  彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え

  救いを告げ

  あなたの神は王となられた、と

    シオンに向かって呼ばわる。

8   その声に、あなたの見張りは声をあげ

  皆共に、喜び歌う。

  彼らは目の当たりに見る

    主がシオンに帰られるのを。

9   歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃墟よ。

  主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。

10  主は聖なる御腕の力を

    国々の民の目にあらわにされた。

  地の果てまで、すべての人が

    わたしたちの神の救いを仰ぐ。

 

私達は小学校の頃、朝顔の種を育て、自然の命に感動する素晴しい経験をしたことがあるのではないだろうか。教会も神の国の種をまく所であり、素晴しい経験ができるはずである。神の国については聖書の時代にはイザヤ書を中心に伝えられており、本日の聖書の箇所も有名な部分である。神の国においては、神が王となり、イエス・キリストにおいて、喜びに満ちた神が、その愛の御支配を確立される。神の国は、私達を自由にし、正しく生きるように促し、平和と喜びで周囲を満たし、神がともに居てくださる。

13節以下では、神の国の福音を聞いても受け入れない頑なさ、なくてはならない大切な情報を聞き流す習慣、一度受け入れても挫折してしまう心の弱さに対して、主イエスは譬え話を用いて警告を発している。この譬え話は主イエスが伝道の失敗を率直に告白したものと捉える者もいる。しかし、主イエスはそのような消極的なものではなく、希望をもってまき続け、成長を待ち続ける積極的な忍耐を示しておられるのである。詩編に「涙をもって種まく者は喜びの声をもって刈り取る」との歌があるが、どんなに小さくても、自分の貧しい力を、神を愛し隣人を愛するために用いようとする種まく者の実感ではないだろうか。

自分は小さくとも、自分より大きな神の国のために自分を用いる人生、それは恵みに満たされたものになる。神は必ず実を実らせる。その約束を信じ勇気をもって生きていきたい。

 

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