528 「安息日の主」 申命記512-15節、マルコによる福音書223-28節  

                                                                                                      秋葉恭子牧師

 

申命記5

12  安息日を守ってこれを聖別せよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。

13  六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、

14 七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる。

15 あなたはかってエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである。

 

マルコによる福音書2

23 ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。

24 ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。

25 イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。

26 アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかには誰も食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。』

27 そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。

28 だから、人の子は安息日の主でもある。」

 

今日のマルコの安息日についての記事を通して、旧約と新約における神様から与えられた「安息日」について考えてみたい。旧約において、安息日の戒めは「十戒」にある。「十戒」を、交読文では出エジプト記から、聖書朗読では申命記から、それぞれ取り上げた。

「十戒」を文言だけで守っているファリサイ派の農夫たちは、安息日に麦の穂を摘んで食べていたイエスの弟子たちを「安息日」を守っていない、と非難する。当時は律法を守らなければ石打の刑となる時代であるため、主イエスたちのこの安息日の行動は常識はずれの過激な行為であったと思われる。イスラエルの民は神から選ばれた民とされていて、律法を守ることに命がけであった。しかし、なぜ神が律法を作られたか、その意味を理解していない。

新約聖書の神、すなわち三位一体の神は、罪を追求する神である一方、罪を許される愛の神でもある。私たちは、御子イエスの十字架によってのみ、罪を許されているという信仰義認で救われている。イエスは「安息日は私の父である神によって人が休むために定められた。人が安息日のためにあるのではない。人の子は安息日の主でもある。」という強いメッセージを伝えられた。安息日は神によって与えられ、神との関わりを深く思う一週間の初めで最も大切な日である。安息日である日曜日は、神に招かれ礼拝に出席することで、日々の労働や競争社会の幻想の奴隷になっている心が解放され、隣人を愛する心を回復し、沈んだ心を高くあげる日である。

 

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