2006年5月14日                秋葉恭子牧師

『罪人を招くイエス』     マルコによる福音書213-17

  

13  イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。

14 そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。

15 イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。

16 ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。

17 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

 

収税所に座っていた徴税人のレビは、イエスから「わたしに従いなさい」と声をかけられ立ち上がってイエスに従った。当時の徴税人という職業は人々から蔑まれ、神からも見捨てられた罪人としての扱いを受けていたので、愛に飢えていたレビはイエスの呼掛けに深い愛を感じたのである。その後、イエスはレビの家で多くの徴税人や罪人と食事を共にされた。

ファリサイ派の律法学者たちは、このイエスの行いに大いに不満であった。何故ならば、イエスが食事を共にされた人たちは、律法を守っていないが故に神から見放されている罪人だからである。ファリサイ派の律法学者たちは、自分たちは神の戒めである十戒を100%守っているから正しいと考えていた。そして、戒めを守ることのできない人々の痛みに気づかずに、そのような人々を切り捨てていたのである。しかし、イエスは、周囲の人々から切り捨てられ、神に見捨てられていると思い込んでいる徴税人や罪人たちに「あなたたちは神に見捨てられているのではない」ことを示されたのである。

十戒は神を愛し隣人を愛することを教えているが、私たちはこの真理を現実には100%守ることは出来ない存在である。しかし、神が私たちを見放されるのではない。私たちが神から離れている、或いは離れようとするのである。神から離れることが罪である。神は、この世でのイエスの十字架に至るご生涯を通して、悔改めと罪の赦しを示された。イエスは神から離れようとしている、或いは離れている私たちのところに来て手を握り、時には背負って、一緒に神のところに帰ろうと言ってくださっている。

私たちは、レビがイエスに従ったように、聖書のみ言葉に聞き、イエスの名によって祈り、イエスに従う歩みを進めたい。

 

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