4月9日 「人間をとる漁師」 エレミヤ書1616-21節、

マルコによる福音書114-20節  

   秋葉恭子伝道師

エレミヤ書16

16 見よ、わたしは多くの漁師を遣わして、彼らを釣り上げさせる、と主は言われる。その後、わたしは多くの狩人を遣わして、すべての山、すべての丘、岩の裂け目から、彼らを狩り出させる。

17 わたしの目は、彼らのすべての道に注がれている。彼らはわたしの前から身を隠すこともできず、その悪をわたしの目から隠すこともできない。

18 まず、わたしは彼らの罪と悪を二倍にして報いる。彼らがわたしの地を、憎むべきものの死体で汚し、わたしの嗣業を忌むべきもので満たしたからだ。

19      主よ、わたしの力、わたしの砦

苦難が襲うときの逃れ場よ。

あなたのもとに

国々は地の果てから来て言うでしょう。

「我々の先祖が自分のものとしたのは

偽りで、空しく、無益なものであった。

20      人間が神を造れようか。

そのようなものが神であろうか」と。

21 それゆえ、わたしは彼らに知らせよう。

  今度こそ、わたしは知らせる

  わたしの手、わたしの力強い業を、

  彼らはわたしの名が主であることを知る。

 

マルコによる福音書1

14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、

15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

16 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられた時、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼等は漁師だった。

17 いえすは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。

18 二人はすぐに網を捨てて従った。

19 また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、船の中で網の手入れをしているのを御覧になると、

20 すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に船に残して、イエスの後について行った。

 

主イエスは「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」とガリラヤの地で宣教を始められた。そして、ガリラヤ湖のほとりで二組の兄弟、即ちシモンとアンデレ、ヤコブとヨハネを御覧になり「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われ、彼らはすべてを捨ててイエスに従った。マルコの描写は簡潔であるが、主イエスの招きと、その応答のありようを簡明に示している。

彼らは主の眼差しを感じ主の呼びかけの声を聞くと、自分たちの自由な決断ですべてを捨てて主に従ったのである。人間は自分の本当の居場所、自分の本当の生きる意味を捜し求めているが自分からは見つけることは出来ないでいる。シモン達もそのような状況にあったので、イエスの招きにすべてを捨てて応じることができたのではないか。私たちも一人一人に主の眼差しが注がれ、主が出会ってくださり、主を信じる信仰へと導かれたのである。主は一人一人を大切にされ、主の招きは、一人一人、時も場所も異なる。

主に救われた私たち、主のためにすべてを捨て切れない私たちだが、しかし、主の福音を人々に伝える御業に加えられている私達は「喜んで何かを捨てなければならない」ことを忘れてはならない。主はご自分の体としての教会を通して福音を広めるために私たちを「人間をとる漁師」として招かれた。主が「人間の漁師」(ギリシャ語の正確な意味)にしようといわれた時の主の思いは、主への出会い、主と食卓を共にする交わり、主によって生かされている者へと一人一人大切に導いて欲しいとの思いであったのではないか。私たちの伝道もそのようでありたい。

 

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