4月2日 「荒野に道を」 イザヤ書 40章1〜5節
マルコによる福音書 1章1〜8節
東方敬信牧
イザヤ書40章
1
慰めよ、わたしの民を慰めよと
あなたたちの神は言われる。
2
エルサレムの心に語りかけ
彼女に呼びかけよ
苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。
罪のすべてに倍する報いを
主の御手から受けた、と。
3
呼びかける声がある。
主のために、荒れ野に道を備え
わたしたちの神のために、荒地に広い道を通せ。
4
谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。
険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
5
主の栄光がこうして現れるのを
肉なる者は共に見る。
主の口がこう宣言される。
マルコによる福音書1章
1
神の子イエス・キリストの福音の初め。
2
預言者イザヤの書にこう書いてある。
「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。
3
荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、その道をまっすぐにせよ。』」
そのとおり、
4
洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
5
aユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
6 ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に皮の帯を締め、イナゴと野蜜を食べていた。
7
彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物の紐を解
く値打ちもない。
8
わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
マルコによる福音書が記された紀元後60年前後のパレスチナは、皇帝ネロとのユダヤ戦争による悲劇的混乱に陥っている状況であった。マルコによる福音書は、このような混乱期にイエス・キリストの喜びの訪れを描いている。同福音書は13章でも、荒野のような緊迫した時代であっても、まだ世の終わりではなく、イエス・キリストの福音を宣べ伝えることが大切であるとしている。
マルコによる福音書の著者が慎重に冒頭の言葉として選んだ「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。」とはバプテスマのヨハネのよるユダヤ民族への呼び掛けでもあり、ユダヤ人であっても方向転換をして神のもとへ帰る「悔い改めのバプテスマ」が必要であるとしている。しかし、罪の赦しは悔い改めが条件ではなく、罪の赦し・神の愛が明確に目の前に提供されているから、私達は心から悔い改めることができるのである。
キリスト者は、イエス・キリストの十字架に自分を赦してくれた愛を見出し、心から感謝して、今後は隣人を愛する道に自分の存在を置く者である。私達も挫折は経験するが、大きな愛を信じるからこそ、その挫折の中から立ち上がり、力を与えられる。混沌とした虚しさを神の愛が覆ってくださるということは、永遠に変わることのないイエス・キリストの働きにより、今も実現されている。
今でも神の働きは、イエス・キリストの生涯である福音の物語に触れるとき、私達の内側に活き活きと働きかけて私達を新しくしてくださる。