4月16 「新しい教えとは」 詩編2章1-12節
               マルコによる福音書
121-28

                東方敬信牧師 

詩編2

1   なにゆえ、国々は騒ぎ立ち

 人々はむなしく声をあげるのか。

2   なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して

 主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか

3   「我らは、枷をはずし

 縄を切って投げ捨てよう」と。

4   天を王座とする方は笑い

 主な彼らを嘲り

5         憤って、恐怖に落とし

怒って、彼らに宣言される。

6 「聖なる山シオンで

 わたしは自ら、王を即位させた。」

7   主の定められたところに従ってわたしは述べよう。

 主はわたしに告げられた。

 「お前はわたしの子

 今日、わたしはお前を生んだ。

8   求めよ。わたしは国々をお前の嗣業とし

 地の果てまで、お前の領土とする。

9   お前は鉄の杖で彼らを打ち

 陶工が器を砕くように砕く。

10  すべての王よ、今や目覚めよ。

 地を治める者よ、諭を受けよ。

11  畏れ敬って、主に仕え

 おののきつつ、喜び踊れ。

12  子に口づけせよ

 主の憤りを招き、道を失うことのないように。

 主の怒りはまたたくまに燃え上がる。

 

 いかに幸いなことか

 主を避けどころとする人はすべて。

 

21 一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始めらられた。

22 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。

23 そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。

24 「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」

25 イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、

26 汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声を上げて出て行った。

27 人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が霊に命じると、その言うことを聴く。」

28 イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々まで広まった。

イースター礼拝に出席し、苦難を越えて新しいエネルギーを得て新しい生命に歩み出すことはイースター礼拝にふさわしい。コリントT.1558節には「動かされないようしっかり立ち、主の業に励みなさい」とある。この言葉は復活の主が共にいてくださるならどんな労苦も無駄にならないことを高らかに宣言している。今朝の聖書の箇所ではイエスは権威あるものとしてお立ちになったとある。この権威あるものとは周りが認めざるを得ないものである。教会は主イエス・キリストが権威あるものとして、救い主として立っておられるのである。これが教会の姿である。

 カファルナウムの町の人々はイエスの教えに非常に驚いたとあるが教えの内容には触れられずに23節からは悪霊払いの出来事になっている。これは何を伝えようとしているのか。主イエスの教えと行動は一致して救いを示しており、内容は「時は満ちた」「私についてきなさい」で充分である。

 主イエスの招きに従って愛の支配に参加することは神の武具を身につけ、しっかり立って歩むことである。初代教会は復活の勝利を得て人々を真の意味で自由にしたのである。

 23節に汚れた霊に疲れた男が叫んだとある。マルコは霊と霊の戦いを記している。悪しき支配を続けようとする汚れた霊に対し主イエスは25節でお叱りになったとある。これは強い救いの意志をもった主イエスの言葉であり、外側から見える形で霊を追い出された主イエスの愛の支配が表わされている。主イエスの支配から悪は出て行かざるを得ない。本当に人々を癒す愛、その愛の支配主イエス・キリストを証する業に私たちも参与したいものである。

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