3月5日 「主に仕える歩みには」 コリントの信徒への手紙T 16章1-12

  

1   聖なる者たちのための募金については、わたしがガラテヤの諸教会に指示したように、あなたがたも実行しなさい。

2   わたしがそちらに着いてから初めて募金が行われることのないように、週の初めの日にはいつも、各自収入に応じて、いくらかずつでも手元に取って置きなさい。

3   そちらに着いたら、あなたがたから承認された人たちに手紙を持たせて、その贈り物を届けにエルサレムに行かせましょう。

4   わたしも行く方がよければ、その人たちはわたしと一緒に行くことになるでしょう。

5   わたしは、マケドニア経由でそちらに行きます。マケドニア州を通りますから、

6 たぶんあなたがたのところに滞在し、場合によっては、冬を越すことになるかもしれません。そうなれば、次にどこに出かけるにしろ、あなたがたから送り出してもらえるでしょう。

7   わたしは、今、旅のついでにあなたがたに会うようなことはしたくない。主が許してくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したいと思っています。

8   しかし、五旬祭まではエフェソに滞在します。

9   わたしの働きのために大きな門が開かれているだけでなく、反対者もたくさんいるからです。

10  テモテがそちらに着いたら、あなたがたのところで心配なく過ごせるようお世話ください。わたしと同様、彼は主の仕事をしているのです。

11  だれも彼をないがしろにしてはならない。わたしのところに来るときには,安心して来られるように送り出してください。わたしは,彼が兄弟たちと一緒に来るのを、待っているのです。

12  兄弟アポロについては、兄弟たちと一緒にあなたがたのところに行くようにと、しきりに勧めたのですが、彼は今行く意思は全くありません。良い機会が来れば、行くことでしょう。

 

主イエスの受難と復活は、キリスト教の原点であり、復活は二千年前だけの出来事ではなく、現在でも私達は日々その十字架と恵みに包まれて生きている。

本日の聖書の箇所でパウロは、捧げ物と旅の歩みについて具体的な姿を示している。

捧げ物について、主の日の本来の姿は神に捧げる為に礼拝に来るものであり、主の日に全身全霊をもって神から与えられた全てを捧げることにより、平安に包まれ、主に一つにされている喜びを新たにされることを示す。私達も復活による主の勝利の朝、感謝と献身のしるしとして捧げ物をして、本当の自分は神により生かされている存在であることを再認識して、まことの道を歩みたい。

旅の計画については、厳しい迫害の中、全身全霊を捧げるパウロの姿勢を示しており、常に主を見上げ、神の栄光をあらわす伝道の姿へと導かれる。主イエスはゲッセマネの祈りに象徴されるように天の父に捧げ尽された従順な姿を御自分の背中に示された。自分を神に捧げ尽し歩むことが、まことの救いに与る主イエスのからだとしての教会の姿である。私達キリスト者も現代社会に生きるために様々な闘いがあるが、大きく力に満ちた勝利の門を確信し、勝利の凱旋を果たした主の姿をこの身にまとって歩んでゆかなければならない。

素晴しく大切な受難節の日々を重ねることが許されている教会のからだとして、まず全てを主に捧げ、主と共に、力強く主の勝利が待っている歩みを確信してひたすら歩みたい。

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