2月19日 「神の言葉を求めて」 アモス書8章1-14節、
ヨハネによる福音書1章14-18節
東方敬信牧師
アモス書8章1-14節
1 主なる神はこのようにわたしに示された。見よ、一籠の夏の果物(カイツ)があった。主は言われた。
2 「アモスよ、何が見えるか。」わたしは答えた。「一籠の夏の果物です。」主はわたしに言われた。「わが民イスラエルに最後(ケーツ)が来た。もはや、見過ごしにすることはできない。
3
その日には、必ず
宮殿の歌い女は泣きわめくと
主なる神は言われる。
しかばねはおびただしく
至るところに投げ捨てられる。
声を出すな。」
4
このことを聞け。
貧しい者を踏みつけ
苦しむ農民を押さえつける者たちよ。
5 お前たちは言う。「新月祭はいつ終わるのか、穀物を売りたいものだ。安息日はいつ終わるのか、麦を売り尽くしたいものだ。エファ枡は小さくし、分銅は重くし、偽りの天秤を使ってごまかそう。
6 弱い者を金で、貧しい者を靴一足の値で買い取ろう。また、くず麦を売ろう。」
7
主はヤコブの誇りにかけて誓われる。
「わたしは、彼らが行ったすべてのことを
いつまでも忘れない。」
8
このために、大地は揺れ動かないだろうか。
そこに住む者は皆、嘆き悲しまないだろうか。
大地はことごとくナイルのように盛り上がり
エジプトの大河のように押し上げられ
また、沈まないだろうか。
9
その日が来ると、と主なる神は言われる。
わたしは真昼に太陽を沈ませ
白昼に大地を闇とする。
10
わたしはお前たちの祭りを悲しみに
喜びの歌をことごとく嘆きの歌に変え
どの腰にも粗布をまとわせ
どの頭の髪の毛もそり落とさせ
独り子を亡くしたような悲しみを与え
その最後を苦悩に満ちた日とする。
11
見よ、その日が来ればと
主なる神は言われる。
わたしは大地に飢えを送る。
それはパンに飢えることでもなく
水に渇くことでもなく
主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。
12
人々は海から海へと巡り
北から東へとよろめき歩いて
主の言葉を探し求めるが
見いだすことはできない。
13
その日には、美しい乙女も力強い若者も
渇きのために気を失う。
14
サマリアの罪にかけて誓う者ども
「ダンよ、お前の神は生きている。
ベエル・シェバよ
お前の愛する者は生きている」という者どもは
倒れて再び立ち上がることはない。
ヨハネによる福音書1章14-18節
14 言は肉となって、私達の間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
15 ヨハネは、この方について証をし、声を張り上げていった。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである。』とわたしが言ったのは、この方のことである。」
16 わたしたちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
17 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。
18 いまだかって,神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。
いつの時代にも信仰者は神の視線を感じ神のみ言葉に聞き従いながら生きるものである。しかし現在は一部の人が成功者で大多数の人々が希望をもてない希望格差時代といわれている。そこに精神的な荒廃も生み出されてくる。聖書はこのような時代を知らないのであろうか。預言者アモスは古代イスラエルの危うい物質的繁栄と希望を見出せない時代に神の言葉を語り、文書を残した最初の記述預言者である。アモスはテコアの羊飼いで短い期間に活躍した預言者である。今日の聖書の箇所はその
召命の記事と言われている。繁栄し、国が豊かである時に神は滅びを見ている。(3節)アモスが見た
人々の姿は礼拝についてうわの空であり、神の言葉に聞くことが出来ない様であった。全身を耳にして神の言葉の支配に委ねることが信仰であり、礼拝は最高の奉仕である。人々は自己中心の生活をしているがアモスは大地の上に住むものとして全体を見ている。(8節)新月祭は神との契約の更新の時である。10節でアモスは民族の終わりを告げ、11節では人々に欠けているものは主の言葉を聞くことと記している。神の言葉が聞こえないとは魂が乾き、生きる意欲、希望のないことである。
私たちは神の視線を感じ、聖書をとおして神の語りかけを聞くことの出来る恵みを覚えずにはおられない。神の言葉は確実に私たちに与えられている。イエス・キリストが出会いを与えて下さるのである。イエス・キリストの生涯を新約聖書は神の言葉というのである。イエス・キリストが私たちの中に住みこまれ、歴史の中に確実に与えられたのである。主イエス・キリストと共にとの思いをもって仕え、歩みたい。