12月10日 「幸いなる者」 イザヤ書71014節、

ルカによる福音書13956節 

秋葉恭子牧師

イザヤ書7

10  主は更にアハズに向かって言われた。

11  「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」

12  しかし、アハズは言った。「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」

13  イザヤは言った。「ダビデの家よ聞け。

あなたたちは人間に

    もどかしい思いをさせるだけでは足りず

わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。 

14 それゆえ、わたしの主が御自ら

     あなたたちにしるしを与えられる。

  見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み

  その名をインマヌエルと呼ぶ。

 

ルカによる福音書1

39 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユだの町に行った。

40 そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。

41 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、

42 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。

43 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。

44 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。

45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

46 そこで、マリアは言った。

47 「わたしの魂は主をあがめ、

  わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。

48 身分の低い、この主のはしためにも

    目を留めてくださったからです。

  今から後、いつの世の人も

    わたしを幸いな者と言うでしょう、

49 力ある方が、

    わたしに偉大なことをなさいましたから。

  その御名は尊く、

50 その憐れみは予々に限りなく、

  主を畏れる者に及びます。

51 主はその腕で力を振るい、

  思い上がる者を打ち散らし、

52 権力ある者をその座から引き降ろし、

  身分の低い者を高く上げ、

53 飢えた人を良い物で満たし、

  富める者を空腹のまま追い返されます。

54 その僕イスラエルを受け入れて、

  憐れみをお忘れになりません、

55 わたし達の先祖におっしゃったとおり、

  アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

56 マリアは、三ヶ月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。

マリアとエリザベトの出会いのエピソードは、人間の常識では残酷とも思える状況を喜びに溢れたものに変えてしまう聖霊の働きを活き活きと物語るものである。

天のみ使いから聖霊により身ごもっていることを告げられたおとめマリアは、喜びよりも不安と恐れを抱いて親類のエリサベトを訪ねた。エリサベトはマリアの挨拶を聞いた時、聖霊に満たされたエリサベトの口は高らかに神の祝福をマリアに告げた。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」マリアの恐れと不安は忽ち消え去り、謙遜と確信を持って「マリアの賛歌」により神を賛美して歌った。「今から後、いつの世の人も、わたしを『幸いな者』と言うでしょう、」。

預言者イザヤを通して与えられた神の約束、即ち、「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」は、クリスマスの出来事において実現された。自らの罪のため、常に滅びの淵、死の谷のがけっぷちに追い詰められていた私達は、神のひとり子の受肉と十字架の死によって罪を赦された。今、私達も主を救い主と信じる信仰により「幸いな者」とされている。

主イエスの降誕を心を弾ませて待望む待降節は、また、主イエスが約束された再臨をも待望むことでもある。何故なら、主イエスの再臨の時、私達は「幸いな者」として完成されるからである。アドベントの時、「幸いな者」とされた恵みに感謝し、悔改めと,聖霊の豊かな注ぎを祈りつつクリスマスの喜びの時を共に待ち望みたい。

 

ームページに戻る   み言葉に聞くに戻る