11月19日 「だれが偉いか」 イザヤ書11章1-10節、
マルコによる福音書9章30-37節
イザヤ書11章
1
エッサイの株から一つの芽が萌えいで
その根から一つの若枝が育ち
2
その上に主の霊がとどまる。
知恵を識別の霊
思慮と勇気の霊
主を知り、畏れ敬う霊。
3
彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。
目に見えるところによって裁きを行わず
耳にするところによって弁護することはない。
4
弱い人のために正当な裁きを行い
この地の貧しい人を公平に弁護する。
その口の鞭を持って地を打ち
唇の勢いを持って逆らう者を死に至らせる。
5
正義をその腰の帯びとし
真実をその身に帯びる。
6 狼は子羊と共に宿り
豹は子山羊と共に伏す。
子牛は若獅子と共に育ち
小さい子供がそれらを導く。
7
牛も熊も共に草をはみ
その子らは共に伏し
獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
8
乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ
幼子は蝮の巣に手を入れる。
9
わたしの聖なる山においては
何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
水が海を覆っているように
大地は主を知る知識で満たされる。
10
その日が来れば
エッサイの根は
すべての民の旗印として立てられ
国々はそれを求めて集う。
そのとどまるところは栄光に輝く。
マルコによる福音書9章
30 一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。
31 それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。
32 弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。
33 一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。
34 彼らは黙っていた。途中でだれが一番偉いかと議論しあっていたからである。
35 イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「一番先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」
36 そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。
37 「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなく、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」
イエスは伝道の拠点に戻られ、旅の途中で弟子達が議論していたことについて『何を議論していたのか』とお尋ねになった。弟子達は黙っていた。主イエスは弟子達の議論を知っておられ、弟子達の問題に気づかれたのである。
仕えることを教えられたイエスの言葉を理解するために、ひとりの青年の主イエスとの出会いを分かちたい。幼い頃から祖母の信仰を知っていた。しかし、祈ることや怒らない事などその姿を疎ましいと思いキリスト教から遠ざかっていった。キリスト教主義学校の高校生の頃に転機が訪れた。教会に行き、礼拝に参加し、説教を聴くことによって祖母を理解するようになり、祖母のようになりたいと願い、祖母の大切にしていることが解り始めた。イエス・キリストの愛を知ったのである。
主イエスは弟子達に真理を教えられた。35節では『すべての人に仕える者となりなさい』と勧め、37節では『わたしの名のため』とその根拠も示された。弟子達は十字架の出来事を理解できず恐れていたが、十字架と復活の出来事をみてからわかるように予告されたのである。
私たちも先の青年の祖母のように証する者になりたい。主イエスの贖いの愛を知ることにより、神の愛を知り、自分の醜さを知り、神に造りかえられることを祈りたい。 主イエスの贖いの愛に感謝して生きたいものである。