10月8日  「このことばのゆえに」   イザヤ書558-13節、

マルコによる福音書724-30

 秋葉恭子牧師

 

イザヤ書55

8   わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり

  わたしの道はあなたたちの道と異なると

    主は言われる。

9   天が地を高く超えているように

  わたしの道は、あなたたちの道を

  わたしの思いは

    あなたたちの思いを、高く超えている。

10  雨も雪も、ひとたび天から降れば

  むなしく天に戻ることはない。

  それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ

  種蒔く人には種を与え

  食べる人には糧を与える。

11  そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も

    むなしくは、わたしのもとに戻らない。

  それはわたしの望むことを成し遂げ

  わたしが与えた使命を必ず果たす。

12  あなたたちは喜び祝いながら出で立ち

  平和のうちに導かれていく。

  山と丘はあなたたちを迎え

    歓声をあげて喜び歌い

  野の木々も、手をたたく。

13  茨に代わって糸杉が

  おどろに代わってミルトスが生える。

  これは、主に対する記念となり、しるしとなる。

  それはとこしえに消し去られることがない。

 

マルコによる福音書7

24 イエスはそこを立ち去って、テイルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。

25 汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足元にひれ伏した。

26 女はギリシャ人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。

27 イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、子犬にやってはいけない。」

28 ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の子犬も、子供のパン屑はいただきます。」

29 そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」

30 女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。

 

今日の聖書の箇所で思い出すのはヤイロの娘の癒しの出来事である。主イエスはヤイロの願いを即座に聞き入れ、幼い娘を癒された。しかし、ギリシャ人でシリア・フェニキア生まれの女性が主イエスの足もとにひれ伏し、娘から悪霊を追い出して欲しいとの願いには厳しい言葉で拒まれた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、子犬にやってはいけない。」主イエスはまず、ユダヤ人に福音を伝えることを使命とされていたからである。

しかし、愛する娘を癒したい一心のこの女性は、異邦人である自分の立場をわきまえた上で、主イエスの豊かな恵みから溢れ出るパン屑程度の恵みを与えてくださいと、主イエスに必死に食い下がり訴えた。また、女性は「主よ!」という呼びかけで、主イエスが救い主であるとの信仰を告白した。当時、ユダヤの指導者や弟子達もまだ主イエスを救い主と認めることができないでいたのである。そして、主イエスに「それほど言うのなら、よろしい。」と言わしめ、主イエスから娘の悪霊を追い出す癒しの力を得た。

「それほど言うのなら、」という言葉は元の言葉では「このことばのゆえに」という表現で、「この私にゆるぎない信頼を示す、この言葉のゆえに」という意味である。ゆるぎない信頼を主イエスに寄せ、徹底的なへりくだりを持って主イエスに従う、という本当の信仰をこの女性に見て主イエスは娘を癒された。

私たちにとって「この言葉」とは「悔改めの言葉」である。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と宣べ伝え、私たちの罪を贖うために十字架にかかられた、その主イエスの十字架を悔い改めをもって仰ぐとき、主イエスの「よろしい」という赦しのみ言葉が十字架の上から響いてくる。

 

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