10月29日 「あなたがたはわたしを何者だというのか」
イザヤ書57章16−21節、マルコによる福音書8章27節―9章1節
秋葉恭子牧師
イザヤ書57章
16 わたしは、とこしえに責めるものではない。
永遠に怒りを燃やすものでもない。
霊がわたしの前で弱り果てることがないように
わたしの造った命ある者が。
17 貪欲な彼の罪をわたしは怒り
彼を打ち、怒って姿を隠した。
彼は背き続け、心のままに歩んだ。
18 わたしは彼の道を見た。
わたしは彼をいやし、休ませ
慰めをもって彼を回復させよう。
民のうちの嘆く人々のために
19 わたしは唇の実りを創造し、与えよう。
平和、平和、遠くにいる者にも近くにいる者にも。
わたしは彼をいやす、と主は言われる。
20 神に逆らう者は巻き上がる海のようで
静めることはできない。
その水は泥や土を巻き上げる。
21 神に逆らう者に平和はないと
わたしの神は言われる。
マルコによる福音書8章
27 イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。
28 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
29 そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」
30 するとイエスは、ご自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。
31 それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。
32 しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。
33 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」
34 それから、群集を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨てて、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
35 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。
36 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。
37 自分の命を買い戻すのに、どんな対価を支払えようか。
38 神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、そのものを恥じる。」
9章
1
また、イエスは言われた。「はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる。」
主イエスは父である神のご計画を弟子達や群集にはっきりとお示しになり、弟子たちの覚悟をお聞きになった。『それでは、あなたがたはわたしを何者だというのか。』弟子達を代表してペトロが『あなたは、メシアです。』と答えたが、それは主イエスの十字架の苦難と死、そして復活に至る道を信じ、共に歩むとの覚悟ではなかった。弟子たちは苦しみのない人生を望んだのである。
主イエスは、苦しみのない人生ではなく、苦しみに耐えることができる人生を、苦しみに意味を見出すことのできる人生を指し示された。それは、人がどんなに理想の国家を造っても、罪ゆえに人の苦難は消えることがないからである。人間の底知れない罪深さ、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争いなど人間の罪が、苦しみ、悲しみ、不安のもとであり、世界で貧困や絶え間ない戦争を引き起こしている。主イエスは、人間の本当の救いは、罪のない、愛の充満した神の国の到来にあることを指し示され、人々に神に向き合う歩み、神を愛し隣人を愛する生活を教えられ、自ら十字架の苦難と復活の道を歩まれた。そして、私達はメシアとしての主イエスに従う者としての道を歩んでいる。
『主よ、あなたはメシアです。』と口にすることは、主イエスの苦難と死を私たち自身がこの身に引受ける覚悟と主の復活を信じる告白である。洗礼はその表現であり、聖餐は心弱く不信仰な私達を主が善しとされる恵みである。日本を含め世界で人間の力では解決不可能な悲惨と絶望が後を絶たない。私達は心から神の国の到来を祈らなくてはならない。