10月1日 「内側からいきいきと生きる」 エレミヤ書31章31-34節、
マルコによる福音書7章1-23節
東方敬信牧師
エレミヤ書31章
31 見よ、わたしがイスラエルの家、、ユだの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。
32 この契約は、かってわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出した時に結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。
33 しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。即ち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
34 そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。
マルコによる福音書7章
1
ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。
2
そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。
3
――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、
4
また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。――
5
そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」
6 イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。
『この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
7
人間の戒めを教えとしておしえ、むなしくわたしをあがめている。』
8
あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」
9
更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。
10
モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられえるべきである』とも言っている。
11
それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何んでもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、
12
その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。
13
こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また,これと同じようなことをたくさん行っている。」
14 それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。
15 外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」
16
17 イエスが群衆と別れて家に入られると、弟子たちはこのたとえについて尋ねた。
18 イエスは言われた。「あなたがたも、そんなに物分りが悪いのか。すべて外から人の体に入るものは、人を汚すことができないことが分からないのか。
19 それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り、そして外に出される。こうして、すべての食べ物は清められる。
20 更に、次のように言われた。「人から出て来るものこそ、人を汚す。
21 中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、
22 姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、
23 これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」
教会の鐘は、内側から鳴らす鐘であり、お寺の鐘・神社の鈴が外側から鳴らすのと反対である。これは神様の愛が豊かに注がれている私達の喜びが、明るく何処までも届くように鳴るものであり、私達の信仰の内なる魂が力強く鳴っていることを象徴している。
本日の聖書の箇所でファリサイ派の人々は、選民という醜いエリート意識により、人々の言い伝えに縛られている。神様は十戒でなく新しい契約、つまり外から縛るのではなく内から喜んでいきいきといこうとする契約を示された。この新しい契約は、イエス・キリストが徹底的な愛によって私達の罪を赦し、新たな命を与えるものであり、私達の深い意欲に灯火が灯される。
教会の鐘が内から鳴るように、私達の内なる意欲が新たにされて、いきいきと歩んでゆける。十字架の出来事は、主イエスが喜んで私達の罪を担って苦しみを負って下さった。私達は深い感動と感謝を捧げ、意欲が動き始める。
有限の人間は燃え尽きてしまうバーンアウト症候群に陥る危険があるが、私達は意欲を燃え尽きさせない秘訣、つまり主イエスの愛に繋がっている生き方を知っている。汲めども尽きない永遠の愛により、神様は私達を希望に導く。
そして聖書を読み続けることにより「御国を来たらせ給え」という祈りが限りなく続いてゆくことになり、主イエスを通して示された神様の愛により、今も私達を燃え尽きさせず、燃やし続けている。このことを覚え、日々を過ごしてゆきたい。