1月22日 「最初のしるしー信仰」 ヨハネによる福音書21-12

                   東方敬信牧師 

1 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。

2 イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。

3   ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。

4   イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」

5 しかし、母は召使たちに、「この人が何か言いつけたら、その通りにしてください」と言った。

6 そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。何れも二ないし三メトレテル入りのものである。

7 イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召使たちは、かめの縁まで水を満たした。

8 イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召使たちは運んで行った。

9 世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召使たちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、

10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」

11 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

12 この後、イエスは母、兄弟、弟子たちとカファルナウムに下って行き、そこに幾日か滞在された。

 

今日の聖書の箇所ではイエス・キリストと共に新しい生活、世界が始まったと最初のしるしが記されている。その徴が結婚の時、祝宴の時であるのは象徴的である。不幸の経験から宗教に入ることの多い私たちであるが、ヨハネ福音書は最初しるしを最大の喜び、幸福で描き出している。ヨハネ福音書の序文の栄光(1−14節)には、主イエス・キリストが神の愛を携えて人々の所に神の国を実現したとある。この栄光は祝宴の時なのである。

 聖書は喜びの出来事を記しているが、3節のぶどう酒がなくなるとはどのような出来事を意味しているのであろうか。人間の世界の喜びの限界を示しているのである。

しかし、イエス・キリストが共にいてくださることにより乗り越えることが出来るのである。4節では母マリアとイエスとの関わりを通して信仰の姿勢、救い主に向かう出会いが示される。母マリアは信仰者の立場から主イエス・キリストに聞き従う姿勢をとるのである。7節ではイエスが言われるとおりに水がめをいっぱいにしたことで期待以上の喜びが与えらたことが示される。どのような危機が訪れてもイエス・キリストにより危機を乗り越え、それ以上の喜び「良いぶどう酒」が与えられるのである。

 イエス・キリストがわたしの時はまだ来ていないと4節にあるのは十字架の時、罪人の罪を担う愛、救いの時を象徴しているのである。キリストを媒介とする愛が初代教会を創ったのである。私たちも教会を教会として生きることです。

 

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