7月24日 「信仰とは勇気である」 土師記7章1-8節、マタイによる福音書8章5-13節

                                               東方敬信牧師

1 エルバアル、つまりギデオンと彼の率いるすべての民は朝早く起き、エン・ハロドのほとりに陣を敷いた。ミデイアンの陣営はその北側、平野にあるモレの丘のふもとにあった。

2 主はギデオンに言われた。「あなたの率いる民は多すぎるので、ミデイアン人をその手に渡すわけにはいかない。渡せば、イスラエルはわたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう。

3 それゆえ今、民にこう呼びかけて聞かせよ。恐れおののいている者は皆帰り、ギレアドの山を去れ、と。」こうして民の中から二万二千人が帰り、一万人が残った。

4 主はギデオンに言われた。「民はまだ多すぎる。彼らを連れて水辺に下れ。そこで、あなたのために彼らをえり分けることにする。あなたと共に行くべきだとわたしが告げる者はあなたと共に行き、あなたと共に行くべきでないと告げるものは行かせてはならない。」

5 彼は民を連れて水辺に下った。主はギデオンに言われた。「犬のように舌で水をなめる者、すなわち膝をついてかがんで水を飲むものはすべて別にしなさい。」

6 水を手にすくってすすった者の数は三百人であった。他の民は皆膝をついてかがんで水を飲んだ。

7 主はギデオンに言われた。「手から水をすすった三百人をもって、わたしはあなたたちを救い、ミデイアン人をあなたの手に渡そう。他の民はそれぞれ自分の所に帰しなさい。」

8 その民の糧食と角笛は三百人が受け取った。彼らはすべてのイスラエル人をそれぞれ自分の天幕に帰らせたが、その三百人だけは引き止めておいた。ミデイアン人の陣営は下に広がる平野にあった。

マタイによる福音書8

5 さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、

6 「主よ、私の僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。

7 そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。

8 すると百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。

9 わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」

10 イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。

11 言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。

12 だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」

13 そして、百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。

日本の文明は「同化の文明」、キリスト教国の文明は「冒険の文明」と森有正は述べている。「冒険の文明」には「同化の文明」にはない、神様から招かれているという人間の内的な促しが根本にある。士師記でギデオンは時のリーダーとして立ち上がるよう、主に招かれる。彼は理由をつけて断ろうとするが、神が聖なる力を下され、主が彼に向き合ったことをしり、魂が打ち砕かれた。私達も恐れや弱気や否定的なものがあるからこそ、神から促される勇気によって立ち上がることができる。

聖書の中には、自分の力で立ち上がっていく人は誰も描かれていない。モーセもイザヤも神に出会い、ペテロもキリストに触れ、外からの招きによる内的な促しで「せざるを得ない力」が立ち上がってきている。伝道は神がなさることである。

教会学校での5つの約束@聖書を読むAお祈りをするB礼拝を休まないC献金をするD友人を誘う、は主イエスを具体的な生活の中で見つめることである。マタイ伝で百人隊長の信仰が、主イエスに誉められ、部下が癒されたことが記されている。イエスキリストだけは死に打ち勝っている。

イエスを信じる者は神の愛を持つことができ、キリストの香りを放つものとされる。内側から促される勇気によって立ち上がり、冒険へと招かれる信仰生活を共に送りたい。

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