7月10日 「満ち足りることを覚えて」 コリントの信徒への手紙T 10章1-13節
1
兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい。わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、2
皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、3
皆、同じ霊的な食物を食べ、4
皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。5
しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。6
これらの出来事は、わたしたちを戒める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、わたしたちが悪をむさぼることのないために。7
彼らの中のある者がしたように、偶像を礼拝してはいけない。「民は座って飲み食いし、立って踊り狂った」と書いてあります。8
彼らの中のある者がしたように、みだらなことをしないようにしよう。みだらなことをした者は、一日で二万三千人倒れて死にました。9
また、彼らの中のある者がしたように、キリストを試みないようにしよう。試みた者は、蛇にかまれて滅びました。10
彼らの中には不平を言う者がいたが、あなた方はそのように不平を言ってはいけない。不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました。11
これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。12
だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。13
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に逢わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道を備えていてくださいます。
私達の日々の信仰生活の中で忘れがちなことは、聖書とは神の約束の事実が記載されているということである。神との契約の書物をもつということは素晴しいことである。
私達は日々の試練の中で孤独となり、試練が苦しみ・痛み・悲しみに変化してしまうが、神という真実な方の約束を信ずることで、どのような試練にも意味を見出すことができる。
聖書に記されている出エジプトの出来事は、神を信ずる群れの共同体の始まりとして、神の約束を受けた者の姿と同時に人間の愚かさを真の姿として表している。出エジプトの民の過ちは神を信ずることをやめてしまったことであるが、拠って立つべきものが無ければ生きてゆけないのは人間のありのままの姿である。私達も、神以外に頼りにすべきものは無いと心の底から神の前で断言できるだろうか?そうでなければ、偶像礼拝と何ら変わらず、本当の神を見失ってしまう。私達はいつの間にか信仰生活を窮屈な歩みと感じてしまっていないだろうか?出エジプトは私達に警告として記されている。
真実である神が共に居ますという本当の約束を信ずることによってのみ、私達は真に満ち足りることができる。神が一時も私達を見失うことなく共に歩んでくださることにより、試練の歩みの意味を見失うことはないのである。
み言葉を賜り、神の約束による真の満ち足りた姿を深くされ、本当の喜びと真の神による強さを身に受けて、新たな一週間を神の為に歩み始めたい。
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