6月26日 「恵みに生きる訓練」  マタイによる福音書6章25-34節

                    東方敬信牧師

25 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。

26 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。

27 あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。

28 なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

29 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

30 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。

31 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。

32 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。

33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

34 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

私たちキリスト者として生きる姿の特質は、思い煩い、思い悩みから開放された生活に招かれていることである。主イエスは山上の説教のこの箇所で、群集に対し何回も「思い悩むな、思い煩うな」と話されている。そこには私たちが今を、今の労苦を素直に受け止められない姿がある。主イエスを取り囲む群集は、その日その日をどうしてよいか分からない、そのような生活の不安定な人達であるが、主イエスは「空の鳥を見よ、野の花を見よ」「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」と教えられる。

空の鳥はいつ強い敵に襲われるかもしれない、野の花は明日は炉に投げ込まれるそのような厳しい現実に生きており、決して何も苦労なしに生きているわけではない。主イエスは、このような労苦の現実を素直に受け取り、明日になったら・・・と先送りするのではなく、今日は今日でその現実に正面から向き合って真剣に生きなさい、と言われているのである。何故ならば、神の愛が支配する神の国と十字架で示された神の義を受け入れることによって、私達の全存在をかけがえのないものとして優しく包み込んでくださる神の奥深い愛を示されるからである。

私たちが見上げる主イエスのみ顔には、私達への慈愛に満ち、心を痛め、思い悩める主イエスの眼差しがある。そして、「思い悩むな、思い煩うな、私があなたの労苦をすべて引き取った、あなたは健やかに立って歩きなさい」との声が聞こえる。一日の終わりに主イエスにその日の歩みを感謝する日々を守りたい。

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