5月8日「神様に愛されている」全体礼拝 エフェソの信徒への手紙5章1-5節

    

1 あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。

2 キリストが私たちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。

3 あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。

4 卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも、感謝を表しなさい。

5 すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい。

創世記には神が天地を創造されたいきさつが記されている。神は全て造られたものを良しとされたが、人間は特別な存在として「神ご自身にかたどって人を創造され、神の息を吹き入れられた」。しかし人間は、しばしば、そうした存在であることを忘れ、神から離れた行いを繰り返す。

パウロは獄中からエフェソの教会に宛てて「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。愛によって歩みなさい。」と、ご自分を香りのよい供え物、生贄として神に捧げられてくださったキリストの私達にたいする愛を説いてキリスト者の歩みを勧めている。私達が神に愛されている、キリストの十字架と復活によって神は私たちに絶対の愛を示してくださった、このことを心から信じることが、わたし達のこの世における存在を確かにするものであり、全ての源、人を愛する、友と共に喜び、悲しむ、どんな時にも生きる力を与えてくれる命の源である。一週間の始めに教会で礼拝を守るのは、一人一人、神の前でこのことを新たに確認するためである。

「愛によって歩む、神に倣う歩みをする」ことは「神に喜ばれる歩み」であり、祈りによって、神との対話を通じ、何をすれば神に喜ばれるかが示される。「神は愛なり」との信仰があれば、自ずと全てにおいて神に感謝をささげる柔らかい、喜びに満ちた心に生きることが出来るであろう。神の愛が自分に溢れ出て、それが隣人への愛に注がれる。その様に、自分が神に愛されていることに何時も立ち戻り、神とのつながりを中心において、愛に輝かされた日々の歩みを進めて行きたい。

 

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