51日「真に生かされる為には」  コリントの信徒への手紙T 81-13

   

1 偶像に供えられた肉について言えば、「我々は皆、知識を持っている」ということは確かです。ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。

2 自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。

3 しかし、神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです。

4 そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、又、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。

5 現に多くの神々、多くの主がいると思われているように、たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、

6 わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。

 本日の聖書の箇所は、偶像にとらえられた場合にどのように対処したら良いかとのコリントの教会の問いにパウロが答えている部分である。偶像には様々なものがあるが、造った人間が造られた偶像に支配されるというのが偶像崇拝の姿であり、現代の私達も地位・お金といったある種の偶像に支配されていないと断言するのは難しい。

 この問いに対して、パウロは知識とは何であるかといった切り口から答えている。「神は愛なり」という聖書の有名な御言葉があるが、愛に結び付いた本当の知識のみが造り上げる歩みへと導き、隣人を生かすことにより自分も生かされるのである。

 キリスト者である私達も、場面場面によって聖書の御言葉と世の教えを使い分けてしまっていないだろうか。このような場合、ゆるぎない絶対的な源を知ることに欠けているのである。私達人間は神に造られた存在でしかない。このことを知ることにより、自分のありのままの姿、自分の位置が分かる。

 主イエス・キリストは、神が人となられた存在であり、人間を神から離れた歩みから救うために命を捨てられた。この事実は、神が私達一人一人を救おうとした証拠であり、私達人間は新しい命を得ることができるのである。私達人間は、このような神にありのままに愛され、真に生かされた存在として、はじめて平安のうちに歩むことができる。確信をもって神に委ね、ありのままに愛されたいと願うことにより、その道は示されるのである。

 

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