4月17「最も重い約束」 コリントの信徒への手紙T 736-40

    

36 もし、ある人が自分の相手である娘に対して、情熱が強くなり、その誓いにふさわしくないふるまいをしかねないと感じ、それ以上自分を抑制できないと思うなら、思いどおりにしなさい。罪を犯すことにはなりません。二人は結婚しなさい。

37 しかし、心にしっかりした信念を持ち、無理に思いを抑えつけたりせずに、相手の娘をそのままにしておこうと決心した人は、そうしたらよいでしょう。

38 要するに、相手の娘と結婚する人はそれで差し支えありませんが、結婚しない人のほうがもっとよいのです。

39 妻は夫が生きている間は夫に結ばれていますが、夫が死ねば、望む人と再婚してもかまいません。ただし、相手は主に結ばれている者に限ります。

40 しかし、わたしの考えによれば、そのままでいる方がずっと幸福です。わたしも神の霊を受けていると思います。

 教会学校の礼拝では、今創世記を学んでいる。御言葉は神の御言葉ゆえに、それぞれにあった届き、実りを見せる。これは不思議な出来事である。

創世記一章に天地創造の業に全てが神が良しとされ、神のみ心にかなった被造物であると示される。私達はいつの間にか神に良しとされた尊さを失った存在になっていないだろうか。神への畏れを失った歩みをしていないだろうか。 

パウロは七章でコリントの教会からの質問に応えた姿が記されている。しかし、パウロは確信を持って、教会は神が建てたもう神の教会であることの喜ばしい事実を前提に今までの問いに対して語ったのである。それ故、教会が示し続けるのは信仰である。そこに全てはかかっている。

 コリント書は教会に宛てた教会を建てるための手紙である。日々の歩みの中で様々な力に支配されても、それらは全て神のみ心にかなうものでない限り過ぎ去ってしまう力であることを教会故に知らされる。 真の教会は世の力では揺るぐことのないところである。それは神が建てたもうた真理を見出せる群れであるからである。

 パウロは今朝の箇所で主に結ばれていることが重要であり、源である事を訴えている。 私達は、神からいただいた信仰の尊さを心から知り感謝して歩んでいるだろうか。神の霊を受けて、キリストと結ばれ、キリストの体として生きる教会生活を約束されている私達は、主を主として歩みだし、与えられた使命に生き、多くの人々にこの幸いを伝えつづけたい。

 

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