12月25日「永遠の光を貴方に」 ヨハネによる福音書3章16−21節
クリスマス礼拝
16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
18 御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。
19 光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。
20 悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて,光の方に来ないからである。
21 しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」
イエス・キリストのご降誕を祝うクリスマスは、私達がインマヌエル“神我らと共にいます”の信仰を持って歩んで来たか、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された、その愛に応えて歩んで来たか、これまでの歩みを振り返り、そして、我々の罪の赦しと永遠の命の約束のために十字架につかれた方を与えられた恵みに心から感謝し、勇気を持って光に向けて新たな歩みを進める時である。インマヌエルを心から確信する時、歩んできた歩みに見失っていた神の御心を見出すことが赦される。
人々は光よりも闇の方を好む。闇の力、罪の大きさは人間の想像をはるかに超えており、人間の力だけで闇の力、罪の大きさに打ち勝つことは出来ない。闇は天地創造の時より存在し、その力は人間の歴史に繰り返し歩む過ちにも明らかとなっている。
イエスに好意を持っていたニコデモは「年をとった者が、どうして生まれることができましょう」と言って、主イエスの光に自らを飛込ませることはなかったが、我々もいつの間にか光から遠ざかり闇や罪に支配されるようになってはいないだろうか。神は、等しく喜びも痛みも苦しみも知る人間としてイエス・キリストをこの世にお遣わしになり、我々にイエスの姿に習い、イエスに従えと示された。16節の神の約束である。
神がまず人間を愛し、信頼し、独り子を世に賜わった。人間は愛されていることを自覚した時に自分の罪深さに気づく。そして、その神の愛に本当に触れる時に、頑なな心が砕かれ、感謝と希望を見出し、新たな力を与えられて、神が用意された道へと歩みだす。イエス・キリストは光として世に遣わされた神の愛の証拠である。クリスマスの良き日に、イエス・キリストの光に永遠に輝かされ、喜びと、希望と、勇気を持って、真理を生きる者として、イエス・キリストのみ跡を歩み続ける決意を新たにしたい。