12月11日 「神との交わりを感謝する」コリントの信徒への手紙T 1426-40  

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26 兄弟たち、それではどうすればよいのだろうか。あなたがたは集まったとき、それぞれ詩編の歌をうたい、   え、啓示を語り、異言を語り、それを解釈するのですが、すべてはあなたがたを造り上げるためにするべきです。

27 異言を語る者がいれば、二人かせいぜい三人が順番に語り、一人に解釈させなさい。

28 解釈する者がいなければ、教会では黙っていて、自分自身と神に対して語りなさい。

29 預言する者の場合は、二人か三人が語り、他の者たちはそれを検討しなさい。

30 座っている他の人に啓示が与えられたら、先に語りだしていた者は黙りなさい。

31 皆が共に学び、皆が共に励まされるように、一人一人が皆、預言できるようにしなさい。

32 預言者に働きかける霊は、預言者の意に服するはずです。

33 神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。聖なる者たちのすべての教会でそうであるように、

34 婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい。

35 何か知りたいことがあったら、家で自分の夫に聞きなさい。婦人にとって教会の中で発言するのは、恥ずべきことです。

36 それとも、神の言葉はあなたがたから出て来たのでしょうか。

37 自分は預言する者であるとか、霊の人であると思っている者がいれば、わたしがここに書いてきたことは主の命令であると認めなさい。

38 それを認めない者は、その人もまた認められないでしょう。

39 わたしの兄弟たち、こういうわけですから、預言することを熱心に求めなさい。そして、異言を語ることを禁じてはなりません。

40 しかし、すべてを適切に、秩序正しく行いなさい。

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礼拝は、神をあがめ、歩むために集う場であり、ここで一人一人が高められ、造り上げられる。ただ初代教会に顕著に表れているように、礼拝は捧げものをもって神をあがめる場でもあり、ただ受動的に礼拝に参加していないか、私達は今一度考えてみなければならない。礼拝に集う他の兄弟姉妹と同じ心をもって、積極的に自分を捧げ、主体的に歩むことが求められている。

 コリントの教会は、各自役割をもって礼拝に参加する活気に満ちたものであったが、霊による混乱の姿が本日の聖書の箇所に描かれている。ここでは霊の賜物を履き違えた自己主張・自己陶酔・自己満足が蔓延していたが、パウロは神の愛による交わりのみが本当に光り輝いている本当の礼拝の姿を明確に示している。また一見すると女性差別のような記述があるが、これは当時異言を語り礼拝を破壊する女性の姿が顕著で、礼拝を守るための警告であり、言葉尻のみを捉え聖書を差別の主張とすることは時代の背景をみていないものである。そしてパウロは、兄弟たちに対して預言することを既に許されている事実を示し、歩むことを勧めている。

 「まことに神はあなたがたの内におられます」〜主の命令として、この言葉を認め、受け止め、感謝をもって歩んで行きたい。主の御降誕の意味を深くする日が今与えられている。もう一度礼拝に許されている恵み、その喜びを深く自らに新たにして、力強く、神がいてくださる我が身を輝かせて歩んで行きたい。

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