マルコによる福音書
14章32-36節 東方敬信牧師
出エジプト記
3章4
主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は芝の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、5
神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」6
神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。7
主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。8
それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリシテ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。9
見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。又、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。10
今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」
マルコによる福音書
14章32
一同がゲッセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。33
そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、34
彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」35
少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、36
こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」ネパールで医療奉仕をされている岩村医師の許で奉仕を希望していた或る看護学校卒業生がケースワーカーとして鎌ヶ崎に勇躍望んだが、鎌ヶ゙崎の日雇い労働者から受け入れられなかった。その女性が機会を得てタイの神学校に行った時に、入口の「私はあなたを用いたい。しかしあなたは偉すぎる」と言う言葉に大変ショックを受け、自分の傲慢さに気付かされて鎌ヶ崎に帰って来た。今度は労働者達から自然に受け入れられる者となっていた。
使徒信条の「全能の父なる神を信ず」は、自己の傲慢を放棄し、不思議な力を持っておられる父なる神に自分を委ねることであり、それにより本当の意味で周りが見え,人の言葉に素直に耳を傾ける。主イエスは、「私は自分の意思ではなく、私をお遣わしになった方の御心を行う」と言われ、ゲッセマネでも「この杯を私から取りのけてください。しかし、私が願うことではなく、御心に叶うことが行われますように」と祈り、父なる神の御旨を求められた。
私達の祈りは主イエスが「アッバ、父よ」と祈られた、そのような祈りに倣うものである。
主イエスの父なる神は、私達の存在を根底から支えているもの、出エジプト記の今朝のみ言葉によれば、小さな苦労をもつぶさに見、声なき魂の叫びをもじっと聞き、痛みを共にしてそれを知っていてくださる神である。人間の力を超えた愛の眼差しで私たちを捉えていてくださる全能の父なる神である。
このことを知り、私達も主イエスに従って、父なる神の不思議な愛に捉えられた者としての歩みを一歩一歩進めて行きたい。
ホームページに戻る
み言葉に聞くに戻る