1月2日 「神の力による生活」 コリントの信徒への手紙T
4章14−21節
14
こんなことを書くのは、あなたがたに恥をかかせるためではなく、愛する自分の子どもとして諭すためなのです。15
キリストに導く養育係があなたがたに一万人いたとしても、父親が大勢いるわけではない。福音を通し、キリスト・イエスにおいてわたしがあなたがたをもうけたのです。16
そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい。17
テモテをそちらに遣わしたのは、このことのためです。彼は、わたしの愛する子で、主において忠実な者であり、いたるところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう。18
わたしがもう一度あなたがたのところへ行くようなことはないと見て、高ぶっている者がいるそうです。19
しかし、主の御心であれば、すぐにでもあなたがたのところに行こう。そして、高ぶっている人たちの、言葉ではなく力を見せてもらおう。20
神の国は言葉ではなく力にあるのですから。21
あなたがたが望むのはどちらですか。わたしがあなたがたのところへ鞭を持って行くことですか、それとも、愛と柔和な心で行くことですか。
新たな年を迎える時、私達人間は、いつの間にか前進する力が内から湧き起こる。人間は成し遂げようとする力を作り出し、理想を求めて歩もうと努力する。しかし、時にその理想は崩れさり、立ち止まることもある。年の初めのこの時に真の生命の歩み源とし、、真の前進を約束される恵みを新たにされたい。
今日の聖書の箇所で、パウロがコリントの教会に対する今までの強い口調で訴え思いを明確に語る。それは愛故であった。パウロは伝道者の姿を語る時、福音を語る自分の姿がまず問われることを身を持って知っていた。
13節では伝道者のありのままの姿を語り、15節では自身を信仰の父と言い、16節では私に倣うものになりなさいと語る。しかし、それら全て主によって生きる故にパウロが導かれ与えられた道である。導かれた道ゆえに大胆にその言葉を贈れたのである。神の言葉に仕え生きるパウロはコリントの教会に対して、改めてイエス・キリストに結ばれた生き方、道を確信することがイエス・キリストに繋がる者の真の姿・平安であると訴える。 神の国は言葉でなく力にあると語る。それは神の国に生きる故に、三つの規準を与えられ具体的姿となって現われるのである。一つは終末論的な生き方、即ち全てが神によって明らかにされる日を確信するゆえに裁く必要は無い歩み。二つ目は、書かれたものを超えない、御言葉がる故に傲慢や迷いを正される。三つ目はキリスト・イエスに結ばれた歩みを持つ故に「わたしに倣う者」に変えられ隣人から神の道を見出すことの出来ることである。このことから神の力による生活が約束され実現できる。神の愛を輝かせ、一年の歩みを始めたい。
ホームページに戻る
み言葉に聞くに戻る