2004815

教会全体修養会  「自分の体で神の栄光を現しなさい」講演要旨

使徒言行録181-11節   吉岡康子牧師

 

「ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。』」・・・・使徒言行録189

 

アテネは知識の都、文化の都ですが、パウロはものすごい勢いでアテネに乗り込みアテネ伝道に挑戦します。ところがこのアテネで伝道の成果を示すことが出来ませんでした。アテネ伝道に失敗し、落ち込んでいるであろうパウロに示されたのが歓楽の町、商業の町コリントでした。しかし、ここでもパウロは散々な目に遭い、パウロは音をあげて、もういい、自分は異邦人の所へ行く、同胞伝道は止めたとなったわけです。即ち、同胞伝道から異邦人伝道への方向転換が起こったのです。これがものすごく大きな実となり花が咲く結果となりました。この時、9節にある神様からの励ましの言葉が与えられたのです。ここにアテネでも出来なかった教会、つまりコリントの教会が出来たのです。

このパウロのコリント伝道での出来事は、青森の開拓伝導に赴いて自分で何とかしてやろうと意気込み結局何も出来ない、どうしようもない自分と向き合い非常に落ち込んでいた私に大きな励ましになりました。

 

教会は、牧師が頑張るのでも、長老が頑張るのでもなく、皆が出来る力を寄せ集めて、皆で創っていく伝道の業です。

 

按手礼を受け牧師になり、さあこれからやるぞとやる気になっていたのですが、なかなか任地が与えられず、自分はどこにも役に立たない人間なのかなと大変落ち込んでいました。その時、秋田での伝道実習の頃お世話になった先生から青森のお話がありました。青森で与えられた仕事が開拓伝道でした。親教会は120年の歴史を持つ青森松原教会ですが、八甲田山の麓の新興住宅地、富山団地という人口4万人ぐらいの所で一軒家の民家を買って、東京神学大学から夏期伝道ということで6年間ほど続けて神学生をよび、その後私の前任者が5年間、合計10年位かけたのですが、なかなか教会として独立までには至りませんでした。

開拓伝道という使命のもと、東京で育った私の初めての一人暮らしが始まりました。自分が何も出来ないことを痛感させられました。料理は出来ない、運転は出来ない、バスが一日3本とか、それ以外の交通機関はなく、車の運転が出来なければ生活できない所です。教会の方が車で送り迎えしてくださる、料理は運んでくださる、伝道とか偉そうなことを言う前に生活面のことが何も出来ないで本当に落ち込んでしまいました。今まで東京で学んだ事をベースにして開拓伝道をやるんだと意気込んで来ましたが、現実は何も出来ない、どうしようもない自分と向き合ったわけです。

ところが非常に不思議な事に、私が余りにもどうしようもないので教会の人が一生懸命、教会に来てくださるのです。しばらく伝道所を離れていた人達がボツボツと帰ってくるようになりました。車の免許を取る際には、教習所まで来て祈祷会をやってくださるほどでした。あとで聞いた話ですが、それまでは非常な優秀な先生がおられて、伝道所は牧師先生に任せておけばいいという気持ちがあったが、今度来た先生は何も出来ないものだから伝道所を潰さない為に、或いは先生の生活を支えるために何をしたらよいか皆必死に考えて祈ったというのです。

やがて教会の人達が自分たちで礼拝の形を作り上げていこう、伝道の業をもっと前進させようという事で色々皆さんが自分たちの出来る力を持ち寄ってくださって、聖日の礼拝を守る事が出来るようになりました。

ここでの2年間の経験で申し上げますと、伝道というものは、それが開拓伝道であれ、どんな教会であっても、一部が頑張るのではなくて、皆が伝道のために、教会のために何が出来るかをいうものを、どれだけ持ち寄ることが出来るかということによって伝道は前進して行く、或いは停滞もしていくということを本当に思いました。

 

伝道は、マラソンランナー達による駅伝のようなもの、一人一人が信仰の生涯を走りぬけて、次の世代にたった一本のタスキを渡していくようなものだと思います。

 

青森の伝道所は、その後、私の後任の方が5年間頑張ってくださり、更にその後は、たまたま知り合いの牧師で60を過ぎれば開拓伝道をしたいとの希望を持った方に引き継いでいただき、教会の方々も色々な形で関与しながら、伝道所から2種教会へ、そして現在1種教会へと伝道の業が続けられて来ています。

教会として伝道を見た場合は、その信仰生活を走り続けるマラソンランナー達による駅伝のようなものであると思います。駅伝は日本固有のものですが、一人一人が全力を出し切って、たった一本のタスキ(バトン)を渡すために皆が努力するのですが、伝道は一人一人のマラソンランナーが、又次の世代に託して行く。一人一人の信仰の生涯は、ある意味ではマラソンのようなものであります。パウロが聖書の中で言っているように、後ろのものを忘れ前のものに向かって体を伸ばしながら走り続ける、正にマラソンのように一人の人が生涯信仰を持って歩み続けていくことの大切さがあります。

生きている時だけではなく、正に自分の命というバトンを渡しきった葬儀という場で、信仰の命というバトンが渡される伝道もあります。

私の実家は神棚を祭り、仏壇を守るという極めて日本的な家庭でありました。むしろ、私の受洗や牧師になる事には反対でした。私の主人の家は、親族に牧師が何人かいるクリスチャンホームです。幸いな事に私の母が主人の父、即ち義父と非常に気が合っていました。義父が亡くなった時初めてキリスト教の葬儀に出席したのですが、たった一回の教会の葬儀に出て非常に心を打たれた様子で、その後すぐに父を連れて教会に通い始め、数年して両親そろって洗礼を受け、私の姉も受洗し、今は家族そろって教会に連なる群れとなっております。私は、義父は葬儀を通じて私の両親に伝道してくれた、自分の信仰の命というバトンを渡したのだとの思いで、亡くなった義父に感謝しています。

 

教会は周りの人達から色々と見られていることを感じます。何かの機会があれば、ちょっと入ってみたいとか、話してみたいとか、そうした思いがあることに気が付きました。既に福音の種が蒔かれていることに自分が怠慢であり、正に隣人に対して愛を持って心を寄せなければとの反省をさせられました。

 

懸案の犬を飼うようになって3ヵ月ぐらい経って一人のお嬢さんが礼拝に来られました。今も続けて来ておられますが、お嬢さんにちょっとした悩み事があり、両親から近くの教会に行ってみてはと勧められたのがきっかけでした。実はご両親とは犬仲間だったのですが、飼主は犬ばかり見ているものですから人の顔はあまり見ないのですね。ご両親も、お嬢さんも犬仲間の私が教会に住んでいること(従って牧師であること)をご存知だったわけです。同じようなケースが2件ほどあります。私達の教会は、バザーもやらないし、幼稚園もないし、あまり社交的なタイプの教会では元来ないのですが、つくづく周りの人たちが見ているのだということを感じました。

斜向かいのお婆さまが亡くなられた時、てっきり仏式だと思いご仏前の香典を用意して通夜に行きました。入り口に聖書があり吃驚しました。実はこのお婆さまは近くの小阪集会という無教会派のメンバーだったのです。小阪集会と吉祥寺教会とはある経緯で仲良くしていました。その後、何人かの無教会派の人たちが礼拝に来られるようになりました。吉祥寺という地名の為に、現にお寺は多いのですが、周りは仏教徒であると思い込み、始めから駄目だとあきらめていたのですね。

 

受洗の動機

 

家庭は純日本的でしたが、偶々、霊南坂教会の幼稚園に通うことになりました。その後、進学のこともあり、小学校よりミッションスクール(東洋英和)に通いました。14歳の時、非常に親しい優秀な友人の死というショッキングな出来事があり、友人のような非常に優秀な人が死んで何故自分のような者が生きているのだろうかという強い問いとなりました。そうしたショックと混乱の中から、生きているのは当たり前の社会になっていた中で、やはり生きているのは当たり前ではなくて何か使命を持って自分は生かされているということを、その時強く思わされました。その時、院長先生と話す機会を与えられ、院長先生より「あなたはミッション・スクールで学んでいる事の意味を今こそしっかり考えなければならない。ミッションというのは命の使い方なのだ。あなたが今与えられている命をどういう風に使うかということを見つけるために、あなたはこのミッション・スクールに学んでいるのです。今、命とはなんだろうと思う時こそ、あなたのミッションをここで見つけなさい。」という励ましでした。このことが私にとって大きなことになりました。翌年のイースターに洗礼を受ける決心をして受洗しました。

 

ありのままの自分をそのまま奉げることが重要なのです。神様はそれを喜んで受け取ってくださり、用いてくださいます。

 

礼拝というのは、今生きている私の生活、私の体、私の賜物、良いところもあれば悪いところもある、素晴らしいところもあれば困ったところもある,元気なところもあれば病んでいるところもある、そういう私達の全てを丸ごと神様の前に喜んで奉げることが出来る、それを神様が喜んで受け取ってくださる、そのことを喜ぶ場であり又、学ぶ場が礼拝という場の頂点、クライマックスである事をこの聖書の箇所は示しています。

「自分の体を神に喜ばれる聖なる生ける生贄として献げなさい。これこそあなたがたのなすべき礼拝です。」(ローマの信徒への手紙121節)

主イエス・キリストが全てを捧げ全てを捨ててくださった、主が私達のために全てを捧げてくださった、ご自身を丸ごと十字架の上で生ける生贄として捧げてくださったということを正しく知り又信じる者だけが、喜んで全てを、丸ごと主にお捧げすることが出来る、このことを今私達がこの場で学ぶことではないかと思います。

そういう意味では、信仰生活或いは礼拝を捧げる生活というものは捧げる生活、或いは今与えられているものを豊かに生かして神様にお返しする生活であるといってもよいでしょう。

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